砂場的試行錯誤の大切さ
砂場的試行錯誤の大切さ
ブログを書こう書こうと思いながら、なかなかまとまりのある時間が取れなかったゴールデンウィーク半ば。4日はいつものプレーパークに私ひとりで子ども達5人を連れて、3日は友人家族に会いに大磯の海へ。
その数日間、感じていたのは、【砂場的な試行錯誤】の大切さです。
やったことのないこと、正解のない場所へ挑戦し続ける力は、
「作っては壊す」砂場的な体験なんじゃないかと。
出来なくも道具を現地に持っていく
3日に行った海、二男は釣りがしたいと釣り道具を持ってきました。
我が家は夫も私も釣りの経験がなく、教えることが出来ません。
それでも二男が自ら持ってきた(昔、私の妹からプレゼントしてもらったもの)釣り道具を見るとそのままにすることが出来ず、
まずは堤防で釣りをしているおじさん達に声をかけて、持ってきた釣り道具を全部見せて、
これは使えるのか、餌はどこで買ったらいいのか聞いてみることにしました。
幸い親切なおじさん達に釣り道具屋さんの場所を教えてもらい、無事に必要な餌や道具を買って戻り、
次にまた別のおじさんに声をかけて糸の付け方から、竿の投げ方、餌の付け方、全て教えてもらって、なんとか釣りをすることが出来ました。
残念ながら風が強くて寒い日だったのと、持ってきた竿が短すぎたようで、魚を釣り上げることは出来ませんでしたが、「また行こう!」と次男は意気消沈することなく、楽しめたそうです。
自分が思っていた以上に周りのおじさま方が教えてくれたことが経験になって、進んだ感じがしたそうです。
次男がもし、
「釣りを知らないし、餌もどこで売ってるかわからないし」
「自分が知っている人に頼んでいつか教えてもらおう」
と思っていたら、いつまでも釣りは出来なかったと思います。
出来なくても道具を持ってきちゃう。
出来なくても「やる」と決めたら必要なのは道具だから。
それが最強なんだなぁと思いました。
作っては壊す体験
その翌日のプレーパーク。
兄弟で時間をかけてダムを作って、最後に決壊させて遊んでました。
最後に壊すんだったら意味ないじゃないかと思われがちだけど、この【作って壊す】ことが楽しいんですよね。
「何かを作りたい(釣り上げたい)と思い、その対象・世界に対して主体的に動き、試行錯誤する。」
「予想のつかないことが起きても、それも含めて楽しむ。」
その対象が釣りでも、泥遊びでも変わらなくて、それ自体が、【世界と自分をどう結びつけるか】の学びになっているように思います。
今、道なき道を歩いている私にとっても彼らの姿は励みになり、
たとえ上手くいかないことがあっても、止まってしまうときも、廻り道に感じるときも、この「砂場遊び」の楽しみの1過程なんだなと気づかされます。
彼らはそんなことを考えているわけでもなく、ただ遊んでいるだけなんですけど(笑)。
オブジェのような長女のズボン。
試行錯誤には、泥汚れの洗濯物もついてくるのじゃ。
YAーーー!