ホームスクーリング日記。ある週の5日間
日曜日。
横浜市都筑区で活動している「いるか少年団」の20周年お祝いパーティーに行ってきた。
パーティーといっても、かまどがあちこちに置かれて、各々が焼きたいものと餅につけたいものを持ってきて、食べあう、というゆるい会。
餅をついたり、バーベキュー、焼き芋、豚汁、とたくさん食べ、飲み、話し、
子ども達は庭を飛び出し、近くの公園へ。
我が家の子達も、初めましての子達と意気投合して遊んでいた。
自宅を開放して保育園、学童保育、そして地域の子どもたちにも開放して、誰でも来られる場として存在した20年。
「共育」の先達者を間近で見ながら、助けられながら、子育てできる幸せを感じた日。
月曜日。
祝日で我が子は全員集合なので、簡単なお弁当をつくって、近所のいきつけ、私の元職場の「川崎市子ども夢パーク」へ。
ここでもたき火、落ち葉で宝探し、二男は落とし穴つくり、などなど。
帰ってからは、兄弟4人でスマブラ。
ただ、遊ぶ。
遊びこめば遊びこむほど、創発的な悪だくみ(知恵)が生まれ、
ボーっとする時間が、心と体を緩ませる。
ただ遊ぶ「空白」が、1番何かを産み出すことを、たくさん感じた日。
火曜日。
三男は1人朝から夕方まで近所の森林公園へ。
寒いし、1人だし、手ぶらだけど、1日楽しめる。
この子の楽しむ力の強さはすごい。
「アオサギの若いのがね、狩をしたのを見たよ!」
「りっくんて、1人でも長く楽しめるよね。知らない人とすぐ友達になれるもんね」
「そうだね、知らない人でも話しかけられるし、あとずっと何かを観察してるから、知らない人からもよく話しかけられるよ」
1人になる勇気をもってる人は、フラットな人間関係を、年齢関係なく、すぐつくることを感じた日。
夜は兄弟でボードゲーム。2歳児も「ドブル」を理解して参加できた!
水曜日。
いこま少年団と題して、大人の友人達が我が家へ。
この日は子ども会議で決まったお面作り。
風船に障子紙や折り紙を貼り付けた。
長い時間の作業、集中してやる三男と長女。飽きる二男。
「ここのうちに来るとボケ防止になる」と40代の友人。
「私も子どもができたらここに遊びに連れてこよう」
と20代の友人。
カラフルな立体物が家に吊るされた。
いつのまにか、
子どもたちが媒介となって、
家が開かれ、
人が集まり、
家と外がどんどんボーダーレスになっていく面白さ。
子ども達は自由に羽ばたいている。
私の心もどんどん自由に羽ばたいている。
翌日、木曜日。
私が朝から立ちくらみがして立ち上がれない。
近所の70代の元気なおばさまにヘルプを出して、幼稚園と保育園の送迎を手伝ってもらい、
幼稚園の長女のお弁当は四年生の二男がつくってくれた。
その後、気合いで長女のお誕生日会へ。
二男が作ったお弁当、ちゃんとフォーク、はし、スプーン、ゴムバンド、ふりかけも付けてくれて、
長女も「ママよりお肉が柔らかいよ」と、焼肉と人参とふりかけご飯だけのお弁当を、
文句ひとつ言わないで食べてくれた。
人一倍、不器用でのんびりな二男は、
人一倍優しくて、彼が律儀につくって支度してくれたお弁当を見て泣きそうになった。
「○○ちゃん(長女)のママってもしかして幼稚園の先生?どこの先生?」
と一緒にお弁当を囲んでいた幼稚園の子から質問。
正確には違うけど、近いところにいたから、子どもの洞察力すごい。
少し寝れば治ると思ったけど、まだ頭痛がしてたので、
夕ご飯も、長男と二男がつくってくれた。
途中夕ご飯つくり&夕ご飯で中断しながら、夜はまた兄妹4人でスマブラ。
私はこのときの後ろ姿がなんとも好き。
コントロールが3個しかなくて、幼児の長女も入れてどう交代するかを、数日間ずっと話しながら、子ども達は試している。
勝った人が交代する、負けた人が交代する、今日は2番目に勝った人が交代する、になったそう。
「それなら長女ちゃんが負けても長女ちゃんが交代しなくていいし、わざと負ける人もいないでしょ」
異質協働は、異年齢で遊ぶからこそ。
ルールは決まったものではなくて、
柔軟につくりかえていけることを、子ども達は遊びの中から学んでいる。
大人が指示、命令を出さなくても、
子どもの気持ちに寄り添っていれば、
子どもはこちらにも寄り添ってくれる、最大限に工夫、努力してくれると感じた日。