FUTURE DESIGN 未来をデザインする

『多様な学びプロジェクト』代表ブログ/ホームスクーリング実践記録

作りたいのはモノではなく、文化。そして見たい未来がある。

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最初に自己紹介を。

 

はじめまして。私は、川崎市に住む、0歳8ヶ月の赤ちゃんから、10歳のやんちゃBOYまで、四男一女の5人の子を持つ、お母さんです。

生駒知里が本名ですが、友達からは「たなちゅう」というあだ名で呼ばれています。(旧姓が田中だったので。。。)

 

怒るときはカッカッと怒り(勘違いで後から子ども達に謝ることも、、、^^;)、面白いことは子ども達と一緒にガハガハ笑い、気弱になると子どもの前でもメソメソ泣いてしまう、、、肝っ玉母ちゃんでもなんでもなく、ごくごくフツー、いや、フツーよりもズッコケの多い^^;母ちゃんです。

 

 

 

今10歳の1番上の子が生まれる前の独身時代は、冒険遊び場と、不登校や引きこもりの子が通うフリースペースが合体した施設の、オープニングスタッフとして働いていました。

子どもたちとと泥投げをしたり、かまどで火遊びをしたり、イベントを考えたり、鬼ごっこをしたり。休日も、職場とは別のボランティアグループで、子どもたちとキャンプに行ったり、公園遊び、クリスマス会、餅つきと、まさに「子ども漬け(笑)」の楽しい日々。

 

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そんな私のお腹に命の灯が宿り、退職して、あれよあれよといつの間にか、四男一女の、5人の子の母になりました。

 

お母さんになってからも、「子育て経験のほとんどない女性が、母親になったからっていきなり1人で子育てをするのは大変じゃない?」という疑問から、当時2歳と0歳の長男二男をおんぶに抱っこしながら、市民館でお母さんがコーヒーやお茶を飲みながら、子どもを預けて、子育て相談をしたり、子育てを学べる『ママカフェ』という子育て支援の場をママ仲間と立ち上げたり、ヨチヨチ歩きの子のママが「公園デビュー」に臆することなく気軽に野外遊びができる『外遊びの会』を立ち上げたり、母親同士が子どもを預けあえる自主保育グループを立ち上げ、運営してきました。

去年からは、子育て中の母親を対象に、家族みんなが家事に参加しやすくて、子どもの「やりたい!」がすぐ叶うような収納導線を整える片づけの仕事も細々とですが、やり始めました(現在は産休中)。

 

 

そんな私が、長男と話したアイデアが元になり、何かに突き動かされるように一気に書き上げた文章を、4月9日、日曜日の朝、以下の文章を自分のフェイスブックに投稿しました。

 

 

どうやって実現したらいいのか?本当に実現できるのか?わからないことだらけです。

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どうやって実現したらいいのか?本当に実現できるのか?
わからないことだらけです。

 

ただ、これが叶ったら、「この子にも伝えられる」「あ、この子も!」
笑顔になれる子のイメージだけが浮かんでいます。

 

もし少しでもお力添えいただけることがありましたら、コメントかメッセージいただけると嬉しいです。

 

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我が家の長男は、小学校1年生の秋に学校に行かなくなりました。

 

 

小学校1年生で長男が学校に行かなくなった時、

 

このままこの子が大人になったらどうなるんだろう?
仕事に就けなかったら、どうしよう?
仕事に就けたとしても、人付き合いがうまくいかなくて辞めてしまったらどうしよう?
何も目的なく生きていく大人になったらどうしよう?

たくさんの不安を抱えました。

 

私だけでなく、

 

学校は義務教育ですよ。
親としてそれでいいと思っているんですか。
将来をどう考えているんですか。
ゲーム漬けになったり、昼夜逆転したり、体力が落ちてどこにも行けなくなりますよ。
愛着不安、愛着不足なんじゃないですか?
お母さんのストレスが彼の不登校の原因じゃないですか?

 

周りの人からも、たくさんの不安をぶつけられました。

 

周りの大人の(多くは母である私の)不安は、

モワモワとした黒い霧となって、
元気だった、当時まだ小学一年生だった長男を覆い、

 

やりたいことが毎日たくさん!あって、
いきいきと過ごしていた彼が、

 

ただ,
「学校は退屈すぎる」「半年通ってみて、もうどんなところかはわかった。自分に必要ない場所だってわかった」
と言っていた賢い子が、

 

「もう脳が退化していくんだ」
「俺は大人になれないんだ」

 

というようになってしまい、一時期は外にも出たがらなくなってしまいました。

 

長男の変化に、最初は焦り、「もっと外に出なさい」「このままじゃダメになるよ」と言っていた私も、

 

やがて、

「生きているだけでいいじゃない」
「学校に行かなくてもちゃんと私が育てるから大丈夫」
「あなたはあなたのままでいい」

と伝えられるようになりました。

 

学校以外で育つ場も作ろう!
と、地域の活動に取り組んで、異年齢のこどもが集まる場を作ったり、
tanQfamilyなどインターネット通信で学ぶ場ややり取りできる場を見つけたり、
学校の先生に頼んで、本人の興味関心のある実験やクッキングの授業をしてもらったり。

 

 

そうしているうちに、

今年小学5年生になった長男は、

 

やりたいことがあれば行きたいところに行き、
様々なツールを使って学び、
私よりもずっと物知りで、
料理や掃除が得意で、
一番下の赤ちゃんの世話が上手で、
まだまだ人見知りではありますが、
大人とも、子どもとも、普通に話せる男の子に育ちました。

 

学校にも、やりたいことがあれば行くようになりました。

 

私も、
学校以外の育つ場を作ったり、見つけたことで、
あの頃のような不安を抱えなくなりました。

  

もしあの頃の私たちに、「大丈夫だよ」と伝える術があったら、、、、。

 

 

「全ての、学校以外で育つ子が、豊かに育てる場を提供したい」

 

それが私たちの願いです。

 

 

そのために、長男と話したこと

 

・子ども向けのホームページ。家でこんなことができるよ、こんな勉強方法もあるよ、
外にはこんな場所があるよ、こんなところに行けるよ、というデーターが載っているものを作りたい。

・親や先生に「学校に行かなくていいの?」「勉強はどうするの?」「ゲームばかりしすぎじゃない?」と言われた時に、答えられるものがあるといい。

・学校以外で出かけられるところが増えて欲しい。特に、昼間やっている探究的な学びの塾があるといい。

・ホームページやスマホのアプリで、地域やジャンルで「ホームスクーラー」が行ける場所を検索できるようにしたい。

・インターネット塾があるといい。外に出られない時期も、読み書きが苦手な子でも、学べるところがあるといい。
nhk for schoolの動画を見て、そのあとクイズ(試験)に答えられるといい。
学年を超えて得意なところはどんどん勉強できて、苦手なところは何度も動画で見れるといい。

・おすすめの漫画やアニメやゲームもホームページで紹介する。そしたら親が嫌がる暴力的なゲームとかにはまらないと思う。(親も一緒に楽しめる。)

 

 

そのために力を貸してもらいたいこと

 

・ホームページやスマホのアプリ作成を手伝ってくれる人。

・インターネット塾の作成を手伝ってくれる人。

・一緒に中身を考えてくれる人。

・デザインを担当してくれる人。

・昼間開校していいよ、といってくれる塾や教室の先生。

・ホームページやアプリ、インターネット塾や昼間の塾を作るための、金銭的な支援をしてくれる人。
(どれくらいの費用がかかるのかまだ分からないのですが、クラウドファンディングも考えています。)

 

 

「こういうものがあるから子どもが学校に行かなくなるんじゃないの?」
「甘やかしてる」

と考える方もいらっしゃるかもしれません。

 


私たち考えているのは、

「既存の学校や学びが合わないというだけで、
集団への帰属感や周囲の人間関係という社会的資源も絶たれていいのだろうか?」

という疑問です。

 

もしあなたがブラック企業に勤めていて、その会社が辛くて辞めた時、
他に勤めることのできる会社がないと言われたらどうでしょうか?

 

もしあなたが会社の人間関係に悩んでいて、
有給休暇すら取れない状況と言われたらどうでしょうか?

 

子どもに、どんな学校でも毎日通え、というのは、
それと同じことです。

 

たまたまいい先生達に出会えて、たまたま人間関係の悩みもなかった。

たまたま知的好奇心も満足できる学習内容だった。

それらの「たまたま」がずっと続くと言えるでしょうか?

 

また、現代は働き方も多様化していますし、
将来は、人工知能によって働き方が大きく変わると言われています。

 

学校という存在が、近代化に向けた社会の要請によって生みだされたように、
子ども学び方も社会の変化に応じて変わってくるでしょう。

 

今までのように、毎日学校に通う、ということが当たり前ではない時代が、そのうち来るかもしれません。

 

私たちは今の学校制度を否定しているわけではありません。
個々の特性にあった学びの多様性を、模索できる機会が増えるといいなと思っています。

 

また、現在、学校に通う子たちを、否定や排除もしていません。

学校という場は、普通に通える子にとっては、今でも多くの資源やメリットがあると私は考えています。

 

実際、長男以外の我が家の下の子たちは、学校や幼稚園に通っています。
ホームスクーラー対象のこのサイトや塾が、彼らにとっても新しい学びや出会いの提供になると思っています。

 

 

「全ての、学校以外で育つ子が、豊かに育つ場を提供したい」

 

 

もし、私たちのこの思いに賛同してくださり、力を貸してくださる方がいましたら、連絡いただけたら幸いです。

 

また、この投稿をシェアしていただけたり、気軽にいいねやコメントいただいて、たくさんの方の目に届けてくれますと、嬉しいです。

 

長い文章を、最後まで読んでいただきましてありがとうございました

 

追記・まだ手がきだけど、写真をつけました。

 

 何度も躊躇しながらも、それでも最終的に想いのほうが強くなって、投稿したこの記事に対して、私たちが想像していた以上のたくさんの方がシェアやコメントをしてくれ、「手伝うよ」「応援するよ」「これが出来るよ」「うちも一緒だった」という声をもらいました。

 

それらに驚いて書いた、次の日の投稿

 

前の投稿をするまで2日間ぐらい投稿しようとしてはやめて、しようとしてはやめて、を繰り返してました。

 

自分たちが楽しく暮らせるようになったんだから良いんじゃないか。誰かがやってくれる。ひっそり暮らしていればいい。そんな頭の中の声も聞こえてきました。

 

でも、独身時代に関わってきた子、母親になって子育て支援の活動をする中で知り合った親子の中で、我が家と同じような悩み、苦しみを、抱えなければいけなくなった親子に出会いました。

 

一緒に遊んでたときは、イキイキ幸せそうだった、優しくて、クリエイティブなあの子たちが、そのお母さんが、どうしてこんなに悩まないといけないんだろう?
それが原動力になりました。

 

昨日は、古くからの友人が、長男のホームページ作りを見守ってくれました。じっくり家で没頭して出来る活動ーJIKURI、ここに行こうかーIKOKA、2つのイメージも出来ました。

 

一晩明けて、たくさんのメッセージ、コメント、シェア、いいねに、私たちの予想を超えた繋がりに、正直驚いています。
私たちの世界は一晩で大きく変わりました。

 

どうやって実現したらいいのかは分からないまま、想いだけを握って、私たちは発進しました。

 

期待に応えなくていい。みんなで叶えればいい。

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思ってもみない反響をもらって、私は今更ながら、焦りました。

 

これだけの人の期待にどう応えたらいいのだろう?本当に実現できるのかも分からないのに。私自身は本当にどこにでもいる1人の母親で、普通の企業に勤めた経験すらありません。泥だらけで子ども達と遊んだ経験しかなく、投稿した通りでインターネットの技術も何もなく、ただあるのは想いだけでした。

 

でもそう思ったあとすぐに「期待に応えなくてもいい」とも思いました。期待に応えようとするのは、私が主で周りの人はお客さんということでしょう。でもこのプロジェクトは、共感してくれるみんなで叶えればいい、と。

 

同じように試行錯誤してくれる人と一緒に、手を携えて、どこにたどり着くか分からない旅に船出したのだと。

 

作りたいのはモノではなく、文化

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私は、発進していく中で、私が作りたいのはサイトという、「モノ」ではないんだということに気づきました。

 

作りたいのは「モノ」ではなく、「文化」。作りたいということさえおこがましいのかもしれない。まだ見たことのない「未来」を見たいのだと思うのです。

 

「俺(うちの子)、学校行ってないんだ」という言葉を発するとき、<不登校>という言葉に内在する、『肩身の狭い思い感』や、『あ、カミングアウトしちゃった!されちゃった!感』は何なんでしょうか?

 

最近の私は、「うちの長男はおうち生活でね」とか「学校に行ってなくて」とフツーに言います。私が軽やかにいうせいか、周りのママ友も「あ、そうなんだ」軽やかに返してくれます。そこには良いも悪いもない、フラットな雰囲気が漂っています。私は、私の周辺で起きていることが他でも見たいのだと気づきました。

 

「俺、ホームスクーラー(不登校)なんだ」「あっそう」

ーそう、「あっそう」の一言で済む、学校に行っているもいないも、大きな問題でもなければ、価値観の何某かにも引っかからない、学校という舞台が、インターネット上の繋がりが、地域にあるそこここが、「学び」というフィールドのひとつでしかなく、子ども達が好奇心に従って、枠を超えて自由にそれらのフィールドを行き来できる、そんな未来を見たいのだと思うのです。

 

 

 

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