地域の中の働く大人の背中、それは多様なモノサシの存在。
ケン・ロビソンのTEDスピーチ
この中の最後の方に語られている1つストーリーがあります。
学校で落ち着きがないと注意された少女を病院に連れてきた母親。
彼女の両親は学校の教師から、彼女は「学習障害」だろうと告げられていました。
少女がどれだけ学校で困った存在なのか、
母親の話を聞いた医師は、母親を部屋の外に連れ出し、そこから見守るようにいい、少女を1人にして、音楽をかけます。
1人残された少女は、医師がかけた音楽に合わせて体を動かしました。
部屋の外から母親と一緒に見守っていた医師は告げました。
「お母さん、彼女は病気なんかじゃありません。
彼女はダンサーなんです。
ダンススクールに通わせてあげてください。」
その後、ダンススクールに通った彼女は、、、。
誰もが知っているミュージカル、『キャッツ』や『オペラ座の怪人』の振付師になりました。
誰でもこの少女にとっての医師になれる
私はこの映像を見たとき、鳥肌が立つ思いがしました。
もし彼女がこの医師に出会わなかったら?
ただの落ちこぼれで、彼女の才能はずっと誰にも(本人ですら)気づかれなかったかもしれません。
1人の医師が、才能ある子どもの閉じられそうだった可能性を守りました。
そして。こうも思いました。
私たちは誰でも、この少女にとっての医師になれる。
地域の中の働く大人の背中、それは多様なモノサシの存在。
昔は地域の中に働く大人の背中がありました。
昔は、大工の親方や、八百屋の親父さんが、学校に馴染めなかったり評価されない子達の受け皿になっていたと聞きます。
座学がわからない子達は、こういう実学から学び、学ぶことの楽しさと必要性を知ったでしょう。
社会に出たらどういう風に振る舞うか、木の寸法を測ることや、お金の計算、どうやって儲けを出すか、仕入れ値と売値の違い。
学校に馴染めなくてもそれなりの「オフロード」が地域社会の中にあって、こういう子達の別の能力を認めてくれる存在がありました。
今私がやっていることは、特別なことではありません。
学校以外の「モノサシ」をもつ大人が子ども達の近くにいて、その子達の良さに気づいてあげれる存在に1人でもなれたなら、子ども達は自分自身でも気づかなかった未来が広がっていることに気づけるでしょう。
「学校に行けない」ーただそれだけで自信を失いかけた子ども達が、学校とは違うフィールドで、学校とは違う学び方をし、本当に働いている大人に出会うことで、社会で生きる知恵に気づき、羽ばたく自信の元を見つけるかもしれません。
今ここで、私は学校が良い悪いの議論をしているわけではありません。
大人に管理されすぎず、そっと見守ってくれているくらいの距離感で、学校以外の多様な学びの場を、このロゴステッカーで再デザインできたら。
そんな「昔ながら」を、このロゴステッカーで再デザインできたら。
それはきっと、多様な価値観と能力を発揮できる将来の大人たちの姿へと繋がります。
ロゴステッカー、プロトタイプ始動しました!