FUTURE DESIGN 未来をデザインする

『多様な学びプロジェクト』代表ブログ/ホームスクーリング実践記録

砂場的試行錯誤の大切さ

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砂場的試行錯誤の大切さ

ブログを書こう書こうと思いながら、なかなかまとまりのある時間が取れなかったゴールデンウィーク半ば。4日はいつものプレーパークに私ひとりで子ども達5人を連れて、3日は友人家族に会いに大磯の海へ。

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その数日間、感じていたのは、【砂場的な試行錯誤】の大切さです。

 

やったことのないこと、正解のない場所へ挑戦し続ける力は、

「作っては壊す」砂場的な体験なんじゃないかと。

 

出来なくも道具を現地に持っていく

3日に行った海、二男は釣りがしたいと釣り道具を持ってきました。

 

我が家は夫も私も釣りの経験がなく、教えることが出来ません。


それでも二男が自ら持ってきた(昔、私の妹からプレゼントしてもらったもの)釣り道具を見るとそのままにすることが出来ず、

まずは堤防で釣りをしているおじさん達に声をかけて、持ってきた釣り道具を全部見せて、

これは使えるのか、餌はどこで買ったらいいのか聞いてみることにしました。

 

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幸い親切なおじさん達に釣り道具屋さんの場所を教えてもらい、無事に必要な餌や道具を買って戻り、

次にまた別のおじさんに声をかけて糸の付け方から、竿の投げ方、餌の付け方、全て教えてもらって、なんとか釣りをすることが出来ました。

 

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残念ながら風が強くて寒い日だったのと、持ってきた竿が短すぎたようで、魚を釣り上げることは出来ませんでしたが、「また行こう!」と次男は意気消沈することなく、楽しめたそうです。

 

自分が思っていた以上に周りのおじさま方が教えてくれたことが経験になって、進んだ感じがしたそうです。

 

次男がもし、

「釣りを知らないし、餌もどこで売ってるかわからないし」

「自分が知っている人に頼んでいつか教えてもらおう」

と思っていたら、いつまでも釣りは出来なかったと思います。

 

出来なくても道具を持ってきちゃう。

出来なくても「やる」と決めたら必要なのは道具だから。

それが最強なんだなぁと思いました。

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 作っては壊す体験

その翌日のプレーパーク。

兄弟で時間をかけてダムを作って、最後に決壊させて遊んでました。

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最後に壊すんだったら意味ないじゃないかと思われがちだけど、この【作って壊す】ことが楽しいんですよね。

 

 

「何かを作りたい(釣り上げたい)と思い、その対象・世界に対して主体的に動き、試行錯誤する。」

「予想のつかないことが起きても、それも含めて楽しむ。」

 

 

その対象が釣りでも、泥遊びでも変わらなくて、それ自体が、【世界と自分をどう結びつけるか】の学びになっているように思います。

 

 

今、道なき道を歩いている私にとっても彼らの姿は励みになり、

たとえ上手くいかないことがあっても、止まってしまうときも、廻り道に感じるときも、この「砂場遊び」の楽しみの1過程なんだなと気づかされます。

 

彼らはそんなことを考えているわけでもなく、ただ遊んでいるだけなんですけど(笑)。

 

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オブジェのような長女のズボン。 

試行錯誤には、泥汚れの洗濯物もついてくるのじゃ。

 

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YAーーー!

 

カラダ感覚の信頼感ー弥生さんとヨッピーさんのお話会

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今日は『見てる知ってる考えてる』の中島芭旺くんのお母さん、弥生さんと、

「ヨッピー」こと吉田晶子さんのお話会に行ってきました。

 

 

40分くらい遅刻して行っちゃったので最初はどうだったのかわからないけど、

会場の質問に答える形で進んでいました。

 

 

 

 

印象に残った言葉(私の意訳入ってます)

 

●お母さんの「ねばならない」がなくなるとハッピーになる。

子どものやってることに、「おー!」「わー!」「いー!」ばっかりになる。

 

●子どもがゲームばかりしていても、自分が面白いことをやっていたら相手を許せる。

 

●常識への挑戦は組織でやるのは大変だけど、個人だとカンタン。

1人1人が面白いことをやってるとフォロワーがついたりね。

 

●大切にしてきたことーーー子どもの邪魔をしないこと、勝手に幸せになること。

 

●教えようとしない。今の子達はデジタルネイティブ。最先端に触れられる。

私たちが何か教えようとしたら、スマホ使える子に公衆電話の使い方を教えるようなもの。

 

●後ろ指さされるときは、自分が自分に後ろ指さしてるとき。自分が自分と離れてることを、他人が教えてくれる。

 

●親のようになりたくないと思ってた。でもそうこだわっている時はまだ囚われていた。親のような育て方をしてもいい、自分に許可したらそこに囚われなくなった。

 

●子どもに捨てられる親になりたい。

 

●自分が我慢して嫌なことやってると、頑張っていないように見える人がずるく見える。

でも自分がやりたいことをやってる人ばかりになると誰もずるじゃなくなる。

 

●得意な人に任せたら良い。早めに降参すること。

 

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それらを聞いて思ったこと。

お二人は教えないと言っていたけど、子ども達は多分2人の生き様から学んでることはあると思う。

どういう風に、人と、社会と付き合ってるのか、自分で自分を幸せにする方法、などなど。

 

実際に話しても、2人はとてもフランクでオープン。

自分と他人を同じように大切にしているし、笑顔が素敵で、スッと背筋が伸びている。

このひとたちは自分と仲良しなんだなー、と思いました。

 

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私、不覚にもスッピン。。。弥生さんとも写真撮ってもらいましたが、近すぎて公開できなかった(恥)

さくらんぼ学園のしーもんさんともみんなで一緒に^_^

 

 

ヨッピーさん、実際に会うまではちょっと怖いイメージがありましたが、

全然そんなことない。じーーーっと会場のお母さん達の話を聴いている姿が印象的でした。

 

 

ヨッピーさんのお子さんのまりんさんは「自分のお母さんがお母さんでよかった」と言っていました。

自分の子にそう言ってもらえたら幸せだなーーーー。

 

 

弥生さんと話したとき、「あ!もしかして子どもと料理で学びをやってるお母さん?

(facebookで見て)楽しそうでいいなーって思ってたのよー」と言ってもらえて、

あ!楽しさが伝わってるーって、嬉しかったです♪

以前弥生さんが以前にシェアしてくれた私の記事→

 

 

 

あと印象的だったのは、とても自由な2人だけど、意外にも親御さんの子育てがそうだったわけではなかったこと。

2人ともサラッと話されていたけど、それだけ自分の違和感や内側の声に気づいて手動でシフトしてきたんじゃないかな?と。

自由。でもそれは我儘な自由さではなく、真摯さ。

自分への真摯さが生み出した自由。

 

 

 

それと、子どもへの信頼を『カラダ感覚』でもってる。

ヨッピーさんが、子どもは自分が飛べない高さからは飛ばない、という話をしていて、

 

あーーーーわかるーーー。

 

と。

 

 

うちの子達を見ていても、自分から飛ぶと決めた子は、すごい高いところから飛んでも怪我をしない。

この『カラダ感覚』の信頼を、他の場所でも応用しているんだ、と。

子どもを子ども扱いしない、馬鹿にしない、それが一貫しているな、と。

 

 

そんなこんなのお話会でした。

実際に会って話せたのがとっても良かったです。

 

 

 

 

物語はもう始まった

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物語はもう始まった

 

しばらくブログをサボっていたので(^_^;)、こちらの日にちを遡って報告していこうと思います!

 

 

4月26日(水)のフェイスブック投稿より。

今日は、【学校外の多様な学びや生活、遊びの場を紹介する情報サイト、その他】について話し合った、第1回目でした。

 

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オンラインの参加もあり、近未来的なミーティング。

 

まずは私たちのやりたいことを話して、参加された方から鋭いツッコミをもらって、また考えて話して、、、すごーく濃くて私も全てが理解できたとは言えなかったけれど、このやりとり自体が有機的でいいな!と思いました。

 

色々聞いた中で、参加された田原さんの「物語はもう始まった」という言葉が印象的でした。

 

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Facebookのグループも作りました。ぜひ仲間に入りたい!ーこの物語を読み続けたい、いえ作り手の1人になりたいーという方は、メッセージかコメントいただけたら嬉しいです😃

 

 

1週間ほど前と近い呼びかけだったにも関わらず、すぐに定員に達して、大人7名、子ども3名の参加でした!

 

上にも書いたとおりで、私がやりたいことを話して、メンバーからの鋭いツッコミがあって、サイトの形についても色々な意見をもらいました。

 

 

 

その時に「どうしてこういうのを作りたいと思ったんですか?」という質問に対して、私が話したのは、

 

 

・悪いことをしているわけではないのに、「学校に行っていない」というだけで周りの人から色々言われたり、肩身の狭い思いをしたり、母親の私もコミュニティから外れたような孤独感を味わった。それが長男にも一時期、悪い影響になったと思う。

 

「悪いことをしてるわけじゃないのに、どうしてこんなに肩身の狭い思いをしないといけないの?」という疑問が、出発点だった。

 

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・その当時インターネットを見ても、「ホームスクーラー」のオープンな情報が得られなかった。メンバーサイトだったり、有料だったり。「閉ざされた」イメージを感じた。またはとても田舎で「自分とは違いすぎる」と思ったり。

 

こういう生き方を選んだ子と、その親が、「大丈夫なんだー」って「安心感」がもてるようなサイトがつくりたい。

 

 

・「不登校」というとネガティブな情報が先行しているけれど、子どもが家にいるというのは、裏を返せば「時間を忘れてじっくり何かに打ち込める時間がある」「親子での時間をゆっくり取れる」「色々なところに行ける」という良い面だってたくさんある。

 

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そういう【ポジティブな面】が目に見える形で発信できたらいいと思ってる。

 

 

・具体的には、

 

地域とやりたいことを検索して、「今日はどこに行こうかな?誰と会えるかな?」って探せるページと、

 

家でじっくり何かを取り組めるためのページ、

 

「学校」っていうオンロードから外れた、オフロードで生きる子ども達に向けた、同じくオフロードを歩いてきて、今しっかり社会の中で力を発揮している大人からのメッセージ、のページ、

 

3つを作りたいと思ってる。

 

親子それぞれの交流の場、コミュニティの場もいずれは作れたらいい。

 

同じように学校外で育つおうちの様子が見えることで、「大丈夫なんだ」「一人じゃないんだ」と思ってもらえたらいい。

 

 

ここが入り口で、いろんなところに広がっていくイメージ。

 

閉ざされているんじゃなくて、無限に広がりを感じるサイトが作りたい。

 

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参加された方からは、

 

・学校に行ってないというのはマイノリティだけど、その地域や学校の中ではマイノリティなだけで、世界を広げると実はいっぱいいる。その「実はいっぱいいた」人が集まることで「何かが生まれる」。

 

・「学校不信」だったり、怒りを持っていたり、ネガティブな人もいる。SNSのようなコミュニティ作りは急がず、時間をかけてやったほうがいい。

 

・対話力をつけていくこと。その人の背景を感じて、フラットに対話していくこと。

 

・同じように子どもが不登校になって、まずは病院を紹介されるとか、そんな話で親子ともに落ち込む時期があった。母親が安心できる場が必要。

 

などの意見が出ました。

 

 

なんというか、、、素敵な人ばかりで、私自身が、みなさんと実際にお会いできたことがとても大きな力になりました。フェイスブックの呼びかけをきっかけにして、実際に集まってくださった人がいたこと自体も、とても感動してしまいました。

 

まずはフェイスブックグループを作って繋がりをつくることからはじめていこう、ということで、この日参加してくださったメンバーを主体にしたフェイスブックグループも作りました^^。

 参加してくださった皆様方、どうもありがとうございましたーーー!

 

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暖かさと笑いに包まれた2時間半

 

同じ週、4月28日(金)。

こちらもフェイスブックの投稿より。

今日はクラウドファンディング成功して、親子のコミュニケーション&コーチングカード『ピットインカード』を作った子どもコーチングクラブ主催、原潤一郎さん(https://readyfor.jp/projects/pit-in/announcements/50502)と、妄想すごろくで夢を実現!『日経ウーマン』にも載った原麻衣子さん(https://mousou-sugoroku.amebaownd.com/)ご夫婦からたくさん話を聞いてきました!

 

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潤さんからはクラウドファンディングに挑戦するまでの裏話やどんなことをやってきたか、麻衣子さんからは妄想すごろくでご自身の出版までの夢をサポートしている方法。

 

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どちらも本物は初めて見る私👀
「おおーこれはいいですねー」
実際に「想い」を実現された方に直接会って話を聞けたことにも感動したけど、本物が持つ質感とか色合いにも感動してしまって、ちょっと涙ぐんでしまう私。(ピットインカードは思ったより大きくて厚みもあって、色々なこだわりが満載。妄想すごろくは開いたときの彩りがきれい)人の想いが人を動かす力の大きさを感じました

 

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せっかく夫婦揃ってなので、馴れ初めや、相手のどんな時、どんなところにピンときたか?なんて話も聞いてきて(おばちゃんや😅)。それくらいお互いに尊敬し合っている仲良しご夫婦でした。

 

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私の投稿が元で声をかけてくださって、色々アドバイスしてもらったり、私がノートを見せながら「こんなサイトにしたくて、、、こういうのがあったらいいと思ってるんです」と話したら、「実現したら本当にいいですね!楽しみにしてます!」とたくさん応援して頂きました。ありがとうございます😊!!

色々な方に会いながら、一歩ずつ進んでいこうと思います。

お二人と会った後はその足で学校へ行って明日の運動会の設営準備、これからお弁当買い出しです🍙🍱!
明日は晴れますように〜

 

私の投稿をきっかけに麻衣子さんから声をかけていただいて実現したこの会合。

 

クラウドファンディングに成功した潤さんからは、成功までの道のりを色々聞かせていただきました。「実際に実現した人に会う」というのは本当に力強かったです。

 

引き合わせてくださった麻衣子さんからは妄想すごろくについても伺って、夢の引き寄せスペシャルコース!のようなお得な2時間半。

明るいお2人のおかげで、暖かさと笑いに包まれた2時間半でした。

潤さん、麻衣子さん、ありがとうございました!

 

 

報告はまだまだ続くのですが、長くなったので、一旦ここまでで、

別の記事で続きます!

 

いちごジャム作り

学校外で育つ子のためのサイト作りのグループメンバーから、

我が家が日々やっているホームスクーリングをもっと書いてみたら?とアドバイスをもらったので、これは一昨日と昨日の話を。

 

 

イチゴジャム作り♪♪♪

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夫が生協で買ってくれていた小粒イチゴ。

これをジャムにしまーす。

 

ゴールデンウィーク中は散々外に遊びに出ていたから、日曜の夕ご飯の後。

たまたま「何やってるの〜〜?」とやって来た三男と(後から長女も)作りました。

 

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鍋いっぱいのイチゴ!つまみ食いもされていたから正確な数量がわからないけど、3パックくらい使ったかも。

 

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三男に砂糖を計ってもらいました。

 イチゴを計り忘れたから、砂糖だけ計るのはあんまり意味はないんですが(笑)、

「計る」は算数の勉強を兼ねて。

(本当はイチゴの総量の30〜50パーセントの砂糖を入れるようです。)

 

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砂糖を手でまぶして、1時間以上おいて、イチゴから水分が出るのを待ちまーす。

(ちなみに『浸透圧』で理科にも繋がりまーす)

この日は1時間以上経つと就寝時間にかぶってしまうので、翌朝に続きはやることに〜〜。

 

 

朝!早く起きて来た三男と鍋に火をつけてイチゴを煮ます!

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イチゴから出た水分だけで煮ていきます。

途中、レモン汁が無かったので、家にあったグレープフルーツを入れてみました。

(ちょっと苦くなった気がしたけど、ま、大丈夫、大丈夫(ホントか⁉︎))

 

 

甘い匂いが美味しそー。

 

朝ご飯を食べている間も、とろ火でずっと煮続けて。

 

煮続けて。

 

煮続けて。

 

煮続けて。。。。。

 

 

 

 

そろそろかなぁという頃に長女の幼稚園の送りになりました。

 

「ジャム焦がさないようにみといてね〜〜!」と仕事が遅番で家にいた夫に声をかけて出たら、、、。

 

帰ってきたら、、、、。

 

まさかの、

 

「焦げてるじゃないかー!!!」

 

ショックで出来上がりの写真を撮り忘れました(^^;;。

 

 

 

出来上がりは、、、「ほろ苦い」青春の味がしました(笑)。

 

でも、子ども達は家にある買ったイチゴジャムと食べ比べて、

「こっちも美味しい」と言ってくれました(^_^)。

 

来年リベンジするぞー!

 イチゴジャム作りでした。

 

楽しさは子どもの主食です。

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楽しさは子どもの主食です

 

 元小学校教諭だった故秋田大三郎先生の著書『楽しさは子どもの主食です』を読んだのはいつの頃だったでしょうか?たしか学生時代だった気がします。内容は一切覚えていないのに(大三郎先生ごめんなさい。。。)このタイトルだけが鮮明でした。

 

先週(この記事を書いたのが4月の半ば頃なのでその頃のことです)、真ん中の子ども達が学校から帰ってきてから、いつも行くプレーパークへ行きました。

 

行く途中の公園が見事な土手すべりスポットで、都合よく段ボールも落ちていて(多分前に来た子達が次もやろうと置いて行ってくれたんだと思います)、ひたすら滑りまくってからプレーパークに行きました。

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プレーパークでは木工日和。長男はコップ、三男は盾を作りあげていました。

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さて、土手すべりをしている子ども達の姿をみながら、私の頭の中では何度もこの『楽しさは子どもの主食です』がリフレインしていました。

 

 

本当だ。子どもの主食は楽しいことだ!

 

子ども達の笑い声や笑い顔から楽しさがこっちまで溢れてきました。

 

 

二男の悩み

 

先週から、我が家の二男が、学校を早退けしたり、休む日が出てきました。

 

 

朝になると「今日は行く」と言って二男は自分で学校に向かいます。でも着くと「やっぱり帰りたい」と言って帰ってくる時がありました。または、前日の夜に「明日は朝から行く」と言い、朝になると「やっぱり3時間目からにする」と言い、その時間になると「やっぱり給食からにする」と言う。そんな日もありました。

 

 

長男は「行かない」と決めて家にいる。

三男は「楽しい」と言って学校に行く。

 

 

その二人の有り様は明確で、私も長男には「これ面白そうだよ」と動画や本を勧めたり、一緒に自然の多い場所に出かけたりするし、三男とは、朝学校まで付き添っていきながらお喋りしたり、帰ってきてから絵本を読んだりどこかに出かけたりと付き合います。

 

 

 

でも二男が学校に行きたいのか、行きたくないのか、「本当はどうしたいのか」が私にはよく分からないまま、先週半ばまでが過ぎていきました。

 

「どうしたいの?」と聞いても、「あのね、本当は学校に行きたいの。でも、行くと楽しくないの。学校は楽しくないの」と二男は言いました。行きたい。でも楽しくない。

 

楽しくない場所って行きたい場所???

 

 

 

再び、「楽しさは子どもの主食です」が私の頭の中をリフレインしました。

私は、二男が毎日学校に行けたらいいとは思っていません。ただ、毎日楽しく暮らして欲しいと思っています。幸せな気持ちで日々を過ごして欲しいと願っています。

 

 

プレーパークから帰ってきてから、私は二男に言いました。

 

 

あのね、ママは子ども達みんなが幸せな人生を送って欲しいなぁって思ってるの。それだけがママの希望なの。だから、ママがどう思うかとか、パパがどう思うかとか、先生がどう思うかとか、考えなくていいから、二男君が本当にしたいことを言ってくれていいんだよ。

 

本当にしたいことを言ってくれたら、じゃあこんなサポートができるなって考えられるけど、本当はどうしたいのかが分からないと、どういうサポートをしたらいいのか、ママも分からなくなっちゃうし、1日に何度も予定を変えられると、正直言って、、、困る。」

 

翌朝金曜日、二男は学校を休むと言いました。(ついでに三男も休んだ。)翌週月曜日は二男は自分から学校に行ったけど、「帰りたいと言っています」と学校から連絡があって、お迎えに行きました。その翌日の火曜日(今日)も。

 

「どうだった?」と聞くと「まあまあだね」という返事だったから、やっぱり「行きたい」気持ちもあるし、でも「長くいるほどに行きたくない」んだなーという感じでした。

 

 

学校は行かないといけないところではない。

学校は行けば、友達だったり給食だったりいい部分も色々あるところだけど、行かないといけないところではありません。高校まで学校に行かないで大学に行った子もいれば、就職してる子もいます。大人の目を気にしてどっちがいいのかはっきり言えないよりも、自分で決めた人生を(たとえ後から後悔することがあったとしても)生きていって欲しいんだよなーと私は思っています。

 

そして、ここまでの先週から今週のやりとりを書いてみて思ったのは、私が、子ども達の人生をコントロールしたいという欲を抑えると、子ども達は逆にしっかりして自分のやりたいことを言い出すようになるんだな、ということでした。

 

でも、コントロールしない、って言うよりもやる方はずっと難しいです。

 

母親である私自身も、周りの目を気にして自分のやりたいことを抑えたり、自分のやりたいことがなんなのか分からなくなることが、しょっちゅうあるからです。

 

そんなとき、子ども達と遊んだり、一緒に外の空気を吸ってボーッとしたり、野外でコーヒー片手に黙々と本を読んだりすると、

「あーこういう時間が私にとってはいちばんの幸せなんだなー」という感情がひたひたと湧いてきます。

 

この「怖れのない」、ただ「幸せだなー」という感情を繋いでいった先に、

今、私のやりたいことが続いていっているのだと思います。

 

 

怖れがあるとき、人は周りにも怖れのある言葉を発します。

自分の中に愛があるとき、人は周りにも愛のある言葉を言えます。

 

 

「楽しさは子どもの主食です」

 

楽しさは、大人にとっても主食だなーと感じるこの頃です。

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モバイルボヘミアンスクーラーという生き方

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新緑。この数日間、いい天気で、ずっと野外にいます。

 

土曜日は近所の森林公園へ。入り口入って左手の山頂まで続く長い階段を、長男が重いベビーカーをエッサエッサと、まるでチベットのガイドさんのように担いで登ってくれました。着いた先は木陰のある広場。昼食を食べた後は、そこにあった木の棒で子ども達はチャンバラをしたり、鬼ごっこをしたり。その後お散歩がてらゆっくり園内を回って、山のふもとに降りてからは、池で子ども達はタニシを捕まえたり、水遊びをしたり、ザリガニやカメを釣っている他の子達を見て楽しんでいました。

 

 

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日曜日は地域のボランティアサークルで、ボランティアの大学生のお兄さんお姉さん達と午前中プラ板工作をして、午後は公園で鬼ごっこをしていました。

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月曜日(昨日)の午前中は、いつも家にいる長男(10歳)と、1度学校に行ったけど早めに帰ってきた二男(8歳)と、土曜日に行ったのと同じ森林公園へ。たまたま小学生の子達がフィールドワークをしていたので、「何してるの〜?」とこちらから声をかけて教えてもらいました(こういう風に行った先で会った人とコミュニケーションを取るのが私は好き^^。)

今日は隣の市の小学校組と幼稚園組が帰ってきてから、ログハウスと隣接の公園へ。

 

そんな数日、このところ考えていることをいくつか。 

f:id:futuredesign15:20170418060643j:plainモバイルボヘミアンスクーラーという生き方

そんな数日でしたが、土曜の朝に届いて、早速森林公園で読んだ新刊、『モバイルボヘンミアン』から色々刺激を受けました。
テクノロジーの進化が「どこに行っても働ける」を支えてくれている、という実践者2人の話。

モバイルボヘミアン 旅するように働き、生きるには

普段、<ホームスクーラー>というよりは<アウトドアスクーラー>の我が家にとって、この話はとても興味深く、面白かったです。

 

例えば野外で植物を見たり、生き物を捕まえたら、モバイルがあればすぐにインターネットでこれが何かを調べたり、関連する動画を観ることが出来ます。写真を撮って「採集」することも、「記録」することも可能。そこから物理学や地学、化学に繋げることもできるし、歴史や地理に繋げることもできます。別の方向では、絵を描いたり、文章にまとめたりすることもできます。

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野外の面白さ

そもそも、モバイルを使うかどうか以前に、特にこれを今日は学ぶ、と決めて外に出なくても、屋内よりも野外の方が、子どもにとっての刺激が多く、学びの広がりが持てるという実感が私にはあります。

 

過去には、子ども達と、この森林公園内にある「古代植物園」で、古代の人が使っていた植物を見にいったことをきっかけに、そこから古墳をめぐるフィールドワーク、市民館で土器を見る、土器を作る、火を起こす、勾玉作り、、、と発展して行ったことがありました。


また小1の時に「石」にはまっていた長男は、そこから「地震」や「地層」にも関心を広げていっていましたが、その当時も自主保育で下の兄弟達と野外で育てていたので、雨上がりのある日は、公園に出来た大きな水たまりを太平洋に見立てて、どこから津波が起きたらどうなるのか、という実験をずっと繰り返していました。また「風」の強い日は、ビニール袋を小さな車に取り付けて、ビニール袋の数を増やしたら車の動きがどう変わるのか、という実験をこれまたずっと繰り返している日もありました。自然は土も、水も、風も、植物も、みんなそこにあるので、実際の具体物を使って学ぶことが容易です。そして同じ場所でも天候や季節によって「いつも一緒ではない」ということが、子どもの「想像力」と「創造力」、どちらも掻き立ててくれます。

  

疑問→ネット→実地→ネットの循環で学びが深まっていく

 我が家の長男は「読み書きが苦手」な特性があるので、本だけでなく、動画で学ぶことも多いのですが、NHK for SchoolYouTube、サイエンスチャンネル、NHKオンデマンドなど、幾つかを自分で使い分けているようです。有料になりますが、tanQfamilyというオンラインの通信教育もうちでは利用しています。過去の動画も観れるだけでなく、オンライン上のコミュニティーがあるのが、ただ観るだけとは違う良さがありました。

 

我が家の場合は何かに疑問を持つ→ネットで調べてみる→野外や家庭での実験→また調べたりまとめる、という循環で、IT機器が学びを深める道具の一つになっています。

 

学校でのICT利用による読み書き支援: 合理的配慮のための具体的な実践 (ハンディシリーズ 発達障害支援・特別支援教育ナビ)

 

教科的な学びもモバイルが支える

さて、こうした探究的ではなく、教科的な学びも、NHK for School、カーンアカデミーe-bordのような「無料で」視聴できるコンテンツがここ数年で充実しています。これまでは英語圏のものは使えないイメージがあったのですが、グーグル翻訳機能が劇的にバージョンアップしているので、これから数年後には言語の習得に関係なく視聴を楽しめる予感があります。

  

欧米だと、前述したカーンアカデミーのようなオンライン視聴教材を使って自宅で学び、学校ではそれを元に討論したり、わからなかった部分を教師に聞く『反転授業』形式が増えてきているようなので、家庭でこういったものを使うことは充分理に叶っていると言えます。

 

NHK for School

・カーンアカデミー Khan Academy | Free Online Courses, Lessons & Practice 

・カーンアカデミー日本語版 https://ja.khanacademy.org

マイボード | eboard [いーぼーど]

 
学校の機能を分割して考える

しかしこういったことを書くと必ず出てくるのは「学校は勉強だけの場所ではない」理論です。長男が学校に行かなくなって悩んだ時、私も同じくこの理論(?)で悩みました。

 

そこで、学校の各機能は、それぞれ小分けにすれば代替可能なんじゃないか?という仮説を立ててみました。

 

その当時、私が考えた<学校の機能>はこの4つ。

①知的な学び

②友人関係、人との交流

③帰属感

規範意識、道徳観 

 

①の知的な学びが家で出来、③や④の基本は家とした場合、②をどこで得たらいいのでしょうか?

 

我が家の場合は、月に1、2回行っている地域活動がそれに当たりました。

 

もともと我が家が入っていた地域活動のメンバーが少なかったので、自主保育時代の幼馴染を誘って入ってもらい、異年齢の子達が地域で遊ぶ『第3の居場所ーサードプレイス』を作りました。口コミでどんどん広がり、今は常時6〜8世帯、30人弱の子ども達が集まります。小学校もそれぞれバラバラですが、関係も徐々に深まって、お互いの名前を呼びあえるようになってきました。

 

私が作りたいと思っているサイトの原案も、これらの活動からきています。

 

今、「学校」という『第2の居場所ーセカンドプレイス』を行かないと選択すると、自動的に子どもに残されるのは「家庭」という『第1の居場所ーファーストプレイス』しかありません。

 

子どもが学校に行かないと決めても、すぐに転校という選択肢もなかなか持てないものですし、金銭面や通学面の問題も絡みます。けれどいざ学校に行かないとなると、「友達と付き合ったり遊ぶ」機会も減ってしまいます。

 

そこでその機能はサードプレイスで得ることにして、オンラインにせよオフラインにせよ、「人との交流」にサードプレイスの目的を絞ると、選択肢は無数に広がります。地域活動しかり、習い事しかり、塾しかり、オンラインしかり。それらとホームスクーラー(不登校生)が出会う場を、オンライン上で作りたいというのが、私の一つの夢です。

 

学校という「箱」から「プロジェクト共有型」へ

これは感覚的にですが、多分これから先、学校という箱は無くなっていくと私は思っています。大人の世界でも、前述の『モバイルボヘミアン』によると、在宅ワークやフリーアドレス制、シェアオフィスのような働き方が増えてきて、決まった時間に会社に行くこと常識ではなくなっているといいます。

 

学校もこうした大人社会の変化を受けて、「箱」に集うというよりは、ある程度モバイルやパソコンで学びは補完して、「人に会う」や「プロジェクトを一緒にしていく」ための学校に、形を変えていくのはないでしょうか。登校時間も各々になって、日によって家にいる日も出てくる。屋内だけでなく、野外にも積極的に出ていく。そういうのが「スタンダード」になっていくように思います。

 

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子どもが学校に行かないと言った時、そこに悲観するのではなく、もしかしたら最先端の生き方だといっそ開き直ってしまい、「学校に馴染めない」をひとつの能力と考えて別の育ちを提案する。その一つは、「モバイルボヘミアンスクーラー」という生き方かもしれないと、思うのです。

 

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力がないことが力なのかもしれない

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純度の高さ

8ヶ月の四男の水疱瘡がひどく、3日間ほど、熱と痒みで夜はグズグズと泣いては抱っことおっぱい、昼間は下ろすと泣くのでこれまたずっとおんぶか抱っこ、そしておっぱい(食欲がわかないらしくて)が続いていた。私は3日間ほどほぼ寝られず、昨日になってようやく四男の食欲が回復して、ホッとした。

 

でも、5人目の赤ちゃんになると、ぐずる姿も、回復してご飯を食べる姿も、どちらであっても可愛い。ああ、『無条件の愛』ってこういうのをいうんだなーと、自分の感情に自分で気づかされる。

 

気づけば私は長男と同じく第一子。親の期待や常識にそぐわないことをしてはよく叱られた。褒められようと手伝いをしたり、勉強を頑張ったりと色々やっても、母の期待とはちょっと違って空回り。

 

 

 

第一子の長男は、そうやっては育てまいと決めたけど、どちらかというと私が先回りして心配する癖は今でも抜けない。でも敵もさるもの。私の心配から発する小言には全て言い返したり、無視で応戦する。そんな姿を見て、私もちょっと反省。冷静になって建設的な話し合いを心がけると、向こうも耳を傾けてくれたりする。

 

ほぼホームスクーラーの彼。そういうところの強さは人並み以上だと思う。

 

今回のサイト作りにしても、インドア派の長男が作りたいものと、人に会うのが好きでアウトドアが好きな私が作りたいものは、ちょっと違う。私はどちらかというと、新しい場や人に繋がる部分を作りたいと思っている。そうすると「それは俺が思ってるのと違う」と、長男ははっきり言う。長男はむしろ自分のペースで家でじっくり勉強したり、新しいことをやるきっかけになるモノを作りたいという。

 

「JIKURI(ジクリ)」と「IKOKA(イコカ・仮)」

 

私たちの性質が違うように、全く違う性質のものが出来上がるのかもしれない。そしてこれから関わってくれる人の色がさらに加わることによって、また違った模様となっていくのだと思う。

 

金銭面にしても、私はボランティア組織を運営してきた時期が長く、ボランティア組織の維持の難しさを実感として持っている。想いだけでは、手弁当では、長くは続かない。今回についても何かで収益を得て自立操行できるサイト作りをつい考えてしまう。 

 

ところがこれについても、安易な部分については「それは俺がやりたいことじゃない」と長男は言う。またハッとさせられる。「誰のためのサイトなのか?」「最初の想いはなんだった?」子どもと一緒に何かを作ることの良さは、この<純度の高さ>なのだと気づかされる。

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特に報告のない1週間

純度といえば、前の投稿をしてから、たくさんの人からコメントや、メッセージをいただいた。

特にメッセージの方は、過去に学校に行かなかった子、現在行っていない子のお母さんからもらうことが多かった。現役の教員の方からもきた。

 

ある人からはこんなメッセージをいただいた。 

たなちゅう(私のあだ名です)、こんばんは。

 

投稿読んでメッセージしました。


うちの長男は小5の時にいじめが原因で学校に行けない時期がありました。その当時はいろいろ事情があって、主人と離れて暮らしていて、私もフルタイムで働いていて、長男が学校に行ってくれないと自分が仕事にならず、無理やり車に乗せてなんとか入れる保健室まで連れて行って仕事に行くような生活でした。

 

生活があり、長男にきちんと向き合って話をきいてあげることもせず、

私自身学校に行かない事がダメな事と決めつけて、嫌がる息子に、なんでそうなんだ!そんなんじゃちゃんとした大人になれないよ!と責めるばかり。

 

結果、息子は 自分で生きることをやめようとしたように発作を起こし、病院にはこばれました。

 

その後学校は転校。しばらくは病気とトラウマに苦しむ毎日でした。

 

今はもうすっかり元気だけどね。でも少しやっぱりコミュ症なところはあるな。

 

今思うと本当にかわいそうなことをしてしまったと思います。
あの頃に、今たなちゅうが考えているような学び方や、学校へ行く以外の選択肢がもっとたくさんあったら、こんなに苦しませずに済んだかも。と、思います。

 

私に何が出来るかはわからないけど、力になれることは何でもするよ。

 

学校だけが子どもの居場所じゃないことを、学校に行けなくて悩んでる子ども達やその親御さんが、もっともっと普通のこととして認められるような社会になればいいなと思います。

 

頑張って!具体的に何が出来るかわからないけど、とりあえず力いっぱい応援してるからね。

 

こういうメッセージをもらうと、俄然頑張ろうと思う。メッセージに込められた想いの強さ、<純度の高さ>に自分も励まされる。

 

ところが頑張ろうと思いつつ、できることの小ささに、自分でもびっくりしてしまう。ホームページ作りはちょっとしたことでつまづくと、あっという間に数時間経ってしまって、2人で嫌になってしまう。そのうち下の子も幼稚園や学校から帰ってきたり、午後からは保護者会があったりして、今日の作業は終わり、、、となったりする(長男、ほとんど学校行ってないけど、PTAの委員になっちゃったYO!)。

 

クラウドファンディングは、月曜にメールをして、電話もして、返事がこなくてまた電話をして。ようやく金曜日の今日にメールが返ってきたと思ったら、来週の都合のいい日を教えてくださいとくる。「なんなんだー」とヤキモキする。会う約束をしていた人たちとも、四男の水疱瘡で流れてしまった(ごめんなさい)。

 

そんなこんなの1週間だった。そんなこんなの1週間で特に報告することは何もないのだけど、メッセージやコメントをくれる人がいる。「すみません。今日も何も出来なかったです」パソコンの前でそんなことを思いながら有り難く読ませていただく。読ませていただきながら、もしかしたら、私の良さは「力がないこと」なのかもしれないな、図々しく思った。私たちに「力がない」から、みんな力を貸してくれようとする。ただ<想い>に共感して、何か動こうとしてくれる。

 

私たちは、それをお返しすることは今はできない。完成させることでしか、お返しすることはできない。だから頑張って早く完成させようと、とりあえずもがいてみる。でも、自分でも滑稽なくらいに出来ない(笑)。他の人が話し合う下地になる、アウトラインを作って、のアウトラインすら揉める(笑)。だから、それで開き直ってもいいのかもしれない。こんな報告の時があってもいいのかもしれない。

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力がないことが、誰かを入れる余地を作る、力なのかもしれない。

もしかしたら、力がないことが、力なのかもしれない。力がないから誰かが入る余地を生み、それが新しい広がりを生んでいるのかもしれない。だからこんなにたくさんの人が、忙しい人が、助けるよと声をかけてくれるのかもしれない。

 

第一子だった私は、結局のところ受け取り下手のお願い下手で、相手の好意に「ああ!すみません!」と思ってしまうこと多々なのだけど、もう諦めよう。

諦めて、まずは想いの純度を高くすることに集中しよう。そう思った4月14日金曜日、ドラえもんの日の夜。