FUTURE DESIGN 未来をデザインする

学校外で育つ子と、多様な遊び・学びの場をつなぐ「多様な学びプロジェクト」代表生駒のブログ

力がないことが力なのかもしれない

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純度の高さ

8ヶ月の四男の水疱瘡がひどく、3日間ほど、熱と痒みで夜はグズグズと泣いては抱っことおっぱい、昼間は下ろすと泣くのでこれまたずっとおんぶか抱っこ、そしておっぱい(食欲がわかないらしくて)が続いていた。私は3日間ほどほぼ寝られず、昨日になってようやく四男の食欲が回復して、ホッとした。

 

でも、5人目の赤ちゃんになると、ぐずる姿も、回復してご飯を食べる姿も、どちらであっても可愛い。ああ、『無条件の愛』ってこういうのをいうんだなーと、自分の感情に自分で気づかされる。

 

気づけば私は長男と同じく第一子。親の期待や常識にそぐわないことをしてはよく叱られた。褒められようと手伝いをしたり、勉強を頑張ったりと色々やっても、母の期待とはちょっと違って空回り。

 

 

 

第一子の長男は、そうやっては育てまいと決めたけど、どちらかというと私が先回りして心配する癖は今でも抜けない。でも敵もさるもの。私の心配から発する小言には全て言い返したり、無視で応戦する。そんな姿を見て、私もちょっと反省。冷静になって建設的な話し合いを心がけると、向こうも耳を傾けてくれたりする。

 

ほぼホームスクーラーの彼。そういうところの強さは人並み以上だと思う。

 

今回のサイト作りにしても、インドア派の長男が作りたいものと、人に会うのが好きでアウトドアが好きな私が作りたいものは、ちょっと違う。私はどちらかというと、新しい場や人に繋がる部分を作りたいと思っている。そうすると「それは俺が思ってるのと違う」と、長男ははっきり言う。長男はむしろ自分のペースで家でじっくり勉強したり、新しいことをやるきっかけになるモノを作りたいという。

 

「JIKURI(ジクリ)」と「IKOKA(イコカ・仮)」

 

私たちの性質が違うように、全く違う性質のものが出来上がるのかもしれない。そしてこれから関わってくれる人の色がさらに加わることによって、また違った模様となっていくのだと思う。

 

金銭面にしても、私はボランティア組織を運営してきた時期が長く、ボランティア組織の維持の難しさを実感として持っている。想いだけでは、手弁当では、長くは続かない。今回についても何かで収益を得て自立操行できるサイト作りをつい考えてしまう。 

 

ところがこれについても、安易な部分については「それは俺がやりたいことじゃない」と長男は言う。またハッとさせられる。「誰のためのサイトなのか?」「最初の想いはなんだった?」子どもと一緒に何かを作ることの良さは、この<純度の高さ>なのだと気づかされる。

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特に報告のない1週間

純度といえば、前の投稿をしてから、たくさんの人からコメントや、メッセージをいただいた。

特にメッセージの方は、過去に学校に行かなかった子、現在行っていない子のお母さんからもらうことが多かった。現役の教員の方からもきた。

 

ある人からはこんなメッセージをいただいた。 

たなちゅう(私のあだ名です)、こんばんは。

 

投稿読んでメッセージしました。


うちの長男は小5の時にいじめが原因で学校に行けない時期がありました。その当時はいろいろ事情があって、主人と離れて暮らしていて、私もフルタイムで働いていて、長男が学校に行ってくれないと自分が仕事にならず、無理やり車に乗せてなんとか入れる保健室まで連れて行って仕事に行くような生活でした。

 

生活があり、長男にきちんと向き合って話をきいてあげることもせず、

私自身学校に行かない事がダメな事と決めつけて、嫌がる息子に、なんでそうなんだ!そんなんじゃちゃんとした大人になれないよ!と責めるばかり。

 

結果、息子は 自分で生きることをやめようとしたように発作を起こし、病院にはこばれました。

 

その後学校は転校。しばらくは病気とトラウマに苦しむ毎日でした。

 

今はもうすっかり元気だけどね。でも少しやっぱりコミュ症なところはあるな。

 

今思うと本当にかわいそうなことをしてしまったと思います。
あの頃に、今たなちゅうが考えているような学び方や、学校へ行く以外の選択肢がもっとたくさんあったら、こんなに苦しませずに済んだかも。と、思います。

 

私に何が出来るかはわからないけど、力になれることは何でもするよ。

 

学校だけが子どもの居場所じゃないことを、学校に行けなくて悩んでる子ども達やその親御さんが、もっともっと普通のこととして認められるような社会になればいいなと思います。

 

頑張って!具体的に何が出来るかわからないけど、とりあえず力いっぱい応援してるからね。

 

こういうメッセージをもらうと、俄然頑張ろうと思う。メッセージに込められた想いの強さ、<純度の高さ>に自分も励まされる。

 

ところが頑張ろうと思いつつ、できることの小ささに、自分でもびっくりしてしまう。ホームページ作りはちょっとしたことでつまづくと、あっという間に数時間経ってしまって、2人で嫌になってしまう。そのうち下の子も幼稚園や学校から帰ってきたり、午後からは保護者会があったりして、今日の作業は終わり、、、となったりする(長男、ほとんど学校行ってないけど、PTAの委員になっちゃったYO!)。

 

クラウドファンディングは、月曜にメールをして、電話もして、返事がこなくてまた電話をして。ようやく金曜日の今日にメールが返ってきたと思ったら、来週の都合のいい日を教えてくださいとくる。「なんなんだー」とヤキモキする。会う約束をしていた人たちとも、四男の水疱瘡で流れてしまった(ごめんなさい)。

 

そんなこんなの1週間だった。そんなこんなの1週間で特に報告することは何もないのだけど、メッセージやコメントをくれる人がいる。「すみません。今日も何も出来なかったです」パソコンの前でそんなことを思いながら有り難く読ませていただく。読ませていただきながら、もしかしたら、私の良さは「力がないこと」なのかもしれないな、図々しく思った。私たちに「力がない」から、みんな力を貸してくれようとする。ただ<想い>に共感して、何か動こうとしてくれる。

 

私たちは、それをお返しすることは今はできない。完成させることでしか、お返しすることはできない。だから頑張って早く完成させようと、とりあえずもがいてみる。でも、自分でも滑稽なくらいに出来ない(笑)。他の人が話し合う下地になる、アウトラインを作って、のアウトラインすら揉める(笑)。だから、それで開き直ってもいいのかもしれない。こんな報告の時があってもいいのかもしれない。

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力がないことが、誰かを入れる余地を作る、力なのかもしれない。

もしかしたら、力がないことが、力なのかもしれない。力がないから誰かが入る余地を生み、それが新しい広がりを生んでいるのかもしれない。だからこんなにたくさんの人が、忙しい人が、助けるよと声をかけてくれるのかもしれない。

 

第一子だった私は、結局のところ受け取り下手のお願い下手で、相手の好意に「ああ!すみません!」と思ってしまうこと多々なのだけど、もう諦めよう。

諦めて、まずは想いの純度を高くすることに集中しよう。そう思った4月14日金曜日、ドラえもんの日の夜。