FUTURE DESIGN 未来をデザインする

『多様な学びプロジェクト』代表ブログ/ホームスクーリング実践記録

楽しさは子どもの主食です。

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楽しさは子どもの主食です

 

 元小学校教諭だった故秋田大三郎先生の著書『楽しさは子どもの主食です』を読んだのはいつの頃だったでしょうか?たしか学生時代だった気がします。内容は一切覚えていないのに(大三郎先生ごめんなさい。。。)このタイトルだけが鮮明でした。

 

先週(この記事を書いたのが4月の半ば頃なのでその頃のことです)、真ん中の子ども達が学校から帰ってきてから、いつも行くプレーパークへ行きました。

 

行く途中の公園が見事な土手すべりスポットで、都合よく段ボールも落ちていて(多分前に来た子達が次もやろうと置いて行ってくれたんだと思います)、ひたすら滑りまくってからプレーパークに行きました。

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プレーパークでは木工日和。長男はコップ、三男は盾を作りあげていました。

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さて、土手すべりをしている子ども達の姿をみながら、私の頭の中では何度もこの『楽しさは子どもの主食です』がリフレインしていました。

 

 

本当だ。子どもの主食は楽しいことだ!

 

子ども達の笑い声や笑い顔から楽しさがこっちまで溢れてきました。

 

 

二男の悩み

 

先週から、我が家の二男が、学校を早退けしたり、休む日が出てきました。

 

 

朝になると「今日は行く」と言って二男は自分で学校に向かいます。でも着くと「やっぱり帰りたい」と言って帰ってくる時がありました。または、前日の夜に「明日は朝から行く」と言い、朝になると「やっぱり3時間目からにする」と言い、その時間になると「やっぱり給食からにする」と言う。そんな日もありました。

 

 

長男は「行かない」と決めて家にいる。

三男は「楽しい」と言って学校に行く。

 

 

その二人の有り様は明確で、私も長男には「これ面白そうだよ」と動画や本を勧めたり、一緒に自然の多い場所に出かけたりするし、三男とは、朝学校まで付き添っていきながらお喋りしたり、帰ってきてから絵本を読んだりどこかに出かけたりと付き合います。

 

 

 

でも二男が学校に行きたいのか、行きたくないのか、「本当はどうしたいのか」が私にはよく分からないまま、先週半ばまでが過ぎていきました。

 

「どうしたいの?」と聞いても、「あのね、本当は学校に行きたいの。でも、行くと楽しくないの。学校は楽しくないの」と二男は言いました。行きたい。でも楽しくない。

 

楽しくない場所って行きたい場所???

 

 

 

再び、「楽しさは子どもの主食です」が私の頭の中をリフレインしました。

私は、二男が毎日学校に行けたらいいとは思っていません。ただ、毎日楽しく暮らして欲しいと思っています。幸せな気持ちで日々を過ごして欲しいと願っています。

 

 

プレーパークから帰ってきてから、私は二男に言いました。

 

 

あのね、ママは子ども達みんなが幸せな人生を送って欲しいなぁって思ってるの。それだけがママの希望なの。だから、ママがどう思うかとか、パパがどう思うかとか、先生がどう思うかとか、考えなくていいから、二男君が本当にしたいことを言ってくれていいんだよ。

 

本当にしたいことを言ってくれたら、じゃあこんなサポートができるなって考えられるけど、本当はどうしたいのかが分からないと、どういうサポートをしたらいいのか、ママも分からなくなっちゃうし、1日に何度も予定を変えられると、正直言って、、、困る。」

 

翌朝金曜日、二男は学校を休むと言いました。(ついでに三男も休んだ。)翌週月曜日は二男は自分から学校に行ったけど、「帰りたいと言っています」と学校から連絡があって、お迎えに行きました。その翌日の火曜日(今日)も。

 

「どうだった?」と聞くと「まあまあだね」という返事だったから、やっぱり「行きたい」気持ちもあるし、でも「長くいるほどに行きたくない」んだなーという感じでした。

 

 

学校は行かないといけないところではない。

学校は行けば、友達だったり給食だったりいい部分も色々あるところだけど、行かないといけないところではありません。高校まで学校に行かないで大学に行った子もいれば、就職してる子もいます。大人の目を気にしてどっちがいいのかはっきり言えないよりも、自分で決めた人生を(たとえ後から後悔することがあったとしても)生きていって欲しいんだよなーと私は思っています。

 

そして、ここまでの先週から今週のやりとりを書いてみて思ったのは、私が、子ども達の人生をコントロールしたいという欲を抑えると、子ども達は逆にしっかりして自分のやりたいことを言い出すようになるんだな、ということでした。

 

でも、コントロールしない、って言うよりもやる方はずっと難しいです。

 

母親である私自身も、周りの目を気にして自分のやりたいことを抑えたり、自分のやりたいことがなんなのか分からなくなることが、しょっちゅうあるからです。

 

そんなとき、子ども達と遊んだり、一緒に外の空気を吸ってボーッとしたり、野外でコーヒー片手に黙々と本を読んだりすると、

「あーこういう時間が私にとってはいちばんの幸せなんだなー」という感情がひたひたと湧いてきます。

 

この「怖れのない」、ただ「幸せだなー」という感情を繋いでいった先に、

今、私のやりたいことが続いていっているのだと思います。

 

 

怖れがあるとき、人は周りにも怖れのある言葉を発します。

自分の中に愛があるとき、人は周りにも愛のある言葉を言えます。

 

 

「楽しさは子どもの主食です」

 

楽しさは、大人にとっても主食だなーと感じるこの頃です。

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モバイルボヘミアンスクーラーという生き方

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新緑。この数日間、いい天気で、ずっと野外にいます。

 

土曜日は近所の森林公園へ。入り口入って左手の山頂まで続く長い階段を、長男が重いベビーカーをエッサエッサと、まるでチベットのガイドさんのように担いで登ってくれました。着いた先は木陰のある広場。昼食を食べた後は、そこにあった木の棒で子ども達はチャンバラをしたり、鬼ごっこをしたり。その後お散歩がてらゆっくり園内を回って、山のふもとに降りてからは、池で子ども達はタニシを捕まえたり、水遊びをしたり、ザリガニやカメを釣っている他の子達を見て楽しんでいました。

 

 

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日曜日は地域のボランティアサークルで、ボランティアの大学生のお兄さんお姉さん達と午前中プラ板工作をして、午後は公園で鬼ごっこをしていました。

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月曜日(昨日)の午前中は、いつも家にいる長男(10歳)と、1度学校に行ったけど早めに帰ってきた二男(8歳)と、土曜日に行ったのと同じ森林公園へ。たまたま小学生の子達がフィールドワークをしていたので、「何してるの〜?」とこちらから声をかけて教えてもらいました(こういう風に行った先で会った人とコミュニケーションを取るのが私は好き^^。)

今日は隣の市の小学校組と幼稚園組が帰ってきてから、ログハウスと隣接の公園へ。

 

そんな数日、このところ考えていることをいくつか。 

f:id:futuredesign15:20170418060643j:plainモバイルボヘミアンスクーラーという生き方

そんな数日でしたが、土曜の朝に届いて、早速森林公園で読んだ新刊、『モバイルボヘンミアン』から色々刺激を受けました。
テクノロジーの進化が「どこに行っても働ける」を支えてくれている、という実践者2人の話。

モバイルボヘミアン 旅するように働き、生きるには

普段、<ホームスクーラー>というよりは<アウトドアスクーラー>の我が家にとって、この話はとても興味深く、面白かったです。

 

例えば野外で植物を見たり、生き物を捕まえたら、モバイルがあればすぐにインターネットでこれが何かを調べたり、関連する動画を観ることが出来ます。写真を撮って「採集」することも、「記録」することも可能。そこから物理学や地学、化学に繋げることもできるし、歴史や地理に繋げることもできます。別の方向では、絵を描いたり、文章にまとめたりすることもできます。

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野外の面白さ

そもそも、モバイルを使うかどうか以前に、特にこれを今日は学ぶ、と決めて外に出なくても、屋内よりも野外の方が、子どもにとっての刺激が多く、学びの広がりが持てるという実感が私にはあります。

 

過去には、子ども達と、この森林公園内にある「古代植物園」で、古代の人が使っていた植物を見にいったことをきっかけに、そこから古墳をめぐるフィールドワーク、市民館で土器を見る、土器を作る、火を起こす、勾玉作り、、、と発展して行ったことがありました。


また小1の時に「石」にはまっていた長男は、そこから「地震」や「地層」にも関心を広げていっていましたが、その当時も自主保育で下の兄弟達と野外で育てていたので、雨上がりのある日は、公園に出来た大きな水たまりを太平洋に見立てて、どこから津波が起きたらどうなるのか、という実験をずっと繰り返していました。また「風」の強い日は、ビニール袋を小さな車に取り付けて、ビニール袋の数を増やしたら車の動きがどう変わるのか、という実験をこれまたずっと繰り返している日もありました。自然は土も、水も、風も、植物も、みんなそこにあるので、実際の具体物を使って学ぶことが容易です。そして同じ場所でも天候や季節によって「いつも一緒ではない」ということが、子どもの「想像力」と「創造力」、どちらも掻き立ててくれます。

  

疑問→ネット→実地→ネットの循環で学びが深まっていく

 我が家の長男は「読み書きが苦手」な特性があるので、本だけでなく、動画で学ぶことも多いのですが、NHK for SchoolYouTube、サイエンスチャンネル、NHKオンデマンドなど、幾つかを自分で使い分けているようです。有料になりますが、tanQfamilyというオンラインの通信教育もうちでは利用しています。過去の動画も観れるだけでなく、オンライン上のコミュニティーがあるのが、ただ観るだけとは違う良さがありました。

 

我が家の場合は何かに疑問を持つ→ネットで調べてみる→野外や家庭での実験→また調べたりまとめる、という循環で、IT機器が学びを深める道具の一つになっています。

 

学校でのICT利用による読み書き支援: 合理的配慮のための具体的な実践 (ハンディシリーズ 発達障害支援・特別支援教育ナビ)

 

教科的な学びもモバイルが支える

さて、こうした探究的ではなく、教科的な学びも、NHK for School、カーンアカデミーe-bordのような「無料で」視聴できるコンテンツがここ数年で充実しています。これまでは英語圏のものは使えないイメージがあったのですが、グーグル翻訳機能が劇的にバージョンアップしているので、これから数年後には言語の習得に関係なく視聴を楽しめる予感があります。

  

欧米だと、前述したカーンアカデミーのようなオンライン視聴教材を使って自宅で学び、学校ではそれを元に討論したり、わからなかった部分を教師に聞く『反転授業』形式が増えてきているようなので、家庭でこういったものを使うことは充分理に叶っていると言えます。

 

NHK for School

・カーンアカデミー Khan Academy | Free Online Courses, Lessons & Practice 

・カーンアカデミー日本語版 https://ja.khanacademy.org

マイボード | eboard [いーぼーど]

 
学校の機能を分割して考える

しかしこういったことを書くと必ず出てくるのは「学校は勉強だけの場所ではない」理論です。長男が学校に行かなくなって悩んだ時、私も同じくこの理論(?)で悩みました。

 

そこで、学校の各機能は、それぞれ小分けにすれば代替可能なんじゃないか?という仮説を立ててみました。

 

その当時、私が考えた<学校の機能>はこの4つ。

①知的な学び

②友人関係、人との交流

③帰属感

規範意識、道徳観 

 

①の知的な学びが家で出来、③や④の基本は家とした場合、②をどこで得たらいいのでしょうか?

 

我が家の場合は、月に1、2回行っている地域活動がそれに当たりました。

 

もともと我が家が入っていた地域活動のメンバーが少なかったので、自主保育時代の幼馴染を誘って入ってもらい、異年齢の子達が地域で遊ぶ『第3の居場所ーサードプレイス』を作りました。口コミでどんどん広がり、今は常時6〜8世帯、30人弱の子ども達が集まります。小学校もそれぞれバラバラですが、関係も徐々に深まって、お互いの名前を呼びあえるようになってきました。

 

私が作りたいと思っているサイトの原案も、これらの活動からきています。

 

今、「学校」という『第2の居場所ーセカンドプレイス』を行かないと選択すると、自動的に子どもに残されるのは「家庭」という『第1の居場所ーファーストプレイス』しかありません。

 

子どもが学校に行かないと決めても、すぐに転校という選択肢もなかなか持てないものですし、金銭面や通学面の問題も絡みます。けれどいざ学校に行かないとなると、「友達と付き合ったり遊ぶ」機会も減ってしまいます。

 

そこでその機能はサードプレイスで得ることにして、オンラインにせよオフラインにせよ、「人との交流」にサードプレイスの目的を絞ると、選択肢は無数に広がります。地域活動しかり、習い事しかり、塾しかり、オンラインしかり。それらとホームスクーラー(不登校生)が出会う場を、オンライン上で作りたいというのが、私の一つの夢です。

 

学校という「箱」から「プロジェクト共有型」へ

これは感覚的にですが、多分これから先、学校という箱は無くなっていくと私は思っています。大人の世界でも、前述の『モバイルボヘミアン』によると、在宅ワークやフリーアドレス制、シェアオフィスのような働き方が増えてきて、決まった時間に会社に行くこと常識ではなくなっているといいます。

 

学校もこうした大人社会の変化を受けて、「箱」に集うというよりは、ある程度モバイルやパソコンで学びは補完して、「人に会う」や「プロジェクトを一緒にしていく」ための学校に、形を変えていくのはないでしょうか。登校時間も各々になって、日によって家にいる日も出てくる。屋内だけでなく、野外にも積極的に出ていく。そういうのが「スタンダード」になっていくように思います。

 

futuredesign15.hatenablog.com

 

子どもが学校に行かないと言った時、そこに悲観するのではなく、もしかしたら最先端の生き方だといっそ開き直ってしまい、「学校に馴染めない」をひとつの能力と考えて別の育ちを提案する。その一つは、「モバイルボヘミアンスクーラー」という生き方かもしれないと、思うのです。

 

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力がないことが力なのかもしれない

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純度の高さ

8ヶ月の四男の水疱瘡がひどく、3日間ほど、熱と痒みで夜はグズグズと泣いては抱っことおっぱい、昼間は下ろすと泣くのでこれまたずっとおんぶか抱っこ、そしておっぱい(食欲がわかないらしくて)が続いていた。私は3日間ほどほぼ寝られず、昨日になってようやく四男の食欲が回復して、ホッとした。

 

でも、5人目の赤ちゃんになると、ぐずる姿も、回復してご飯を食べる姿も、どちらであっても可愛い。ああ、『無条件の愛』ってこういうのをいうんだなーと、自分の感情に自分で気づかされる。

 

気づけば私は長男と同じく第一子。親の期待や常識にそぐわないことをしてはよく叱られた。褒められようと手伝いをしたり、勉強を頑張ったりと色々やっても、母の期待とはちょっと違って空回り。

 

 

 

第一子の長男は、そうやっては育てまいと決めたけど、どちらかというと私が先回りして心配する癖は今でも抜けない。でも敵もさるもの。私の心配から発する小言には全て言い返したり、無視で応戦する。そんな姿を見て、私もちょっと反省。冷静になって建設的な話し合いを心がけると、向こうも耳を傾けてくれたりする。

 

ほぼホームスクーラーの彼。そういうところの強さは人並み以上だと思う。

 

今回のサイト作りにしても、インドア派の長男が作りたいものと、人に会うのが好きでアウトドアが好きな私が作りたいものは、ちょっと違う。私はどちらかというと、新しい場や人に繋がる部分を作りたいと思っている。そうすると「それは俺が思ってるのと違う」と、長男ははっきり言う。長男はむしろ自分のペースで家でじっくり勉強したり、新しいことをやるきっかけになるモノを作りたいという。

 

「JIKURI(ジクリ)」と「IKOKA(イコカ・仮)」

 

私たちの性質が違うように、全く違う性質のものが出来上がるのかもしれない。そしてこれから関わってくれる人の色がさらに加わることによって、また違った模様となっていくのだと思う。

 

金銭面にしても、私はボランティア組織を運営してきた時期が長く、ボランティア組織の維持の難しさを実感として持っている。想いだけでは、手弁当では、長くは続かない。今回についても何かで収益を得て自立操行できるサイト作りをつい考えてしまう。 

 

ところがこれについても、安易な部分については「それは俺がやりたいことじゃない」と長男は言う。またハッとさせられる。「誰のためのサイトなのか?」「最初の想いはなんだった?」子どもと一緒に何かを作ることの良さは、この<純度の高さ>なのだと気づかされる。

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特に報告のない1週間

純度といえば、前の投稿をしてから、たくさんの人からコメントや、メッセージをいただいた。

特にメッセージの方は、過去に学校に行かなかった子、現在行っていない子のお母さんからもらうことが多かった。現役の教員の方からもきた。

 

ある人からはこんなメッセージをいただいた。 

たなちゅう(私のあだ名です)、こんばんは。

 

投稿読んでメッセージしました。


うちの長男は小5の時にいじめが原因で学校に行けない時期がありました。その当時はいろいろ事情があって、主人と離れて暮らしていて、私もフルタイムで働いていて、長男が学校に行ってくれないと自分が仕事にならず、無理やり車に乗せてなんとか入れる保健室まで連れて行って仕事に行くような生活でした。

 

生活があり、長男にきちんと向き合って話をきいてあげることもせず、

私自身学校に行かない事がダメな事と決めつけて、嫌がる息子に、なんでそうなんだ!そんなんじゃちゃんとした大人になれないよ!と責めるばかり。

 

結果、息子は 自分で生きることをやめようとしたように発作を起こし、病院にはこばれました。

 

その後学校は転校。しばらくは病気とトラウマに苦しむ毎日でした。

 

今はもうすっかり元気だけどね。でも少しやっぱりコミュ症なところはあるな。

 

今思うと本当にかわいそうなことをしてしまったと思います。
あの頃に、今たなちゅうが考えているような学び方や、学校へ行く以外の選択肢がもっとたくさんあったら、こんなに苦しませずに済んだかも。と、思います。

 

私に何が出来るかはわからないけど、力になれることは何でもするよ。

 

学校だけが子どもの居場所じゃないことを、学校に行けなくて悩んでる子ども達やその親御さんが、もっともっと普通のこととして認められるような社会になればいいなと思います。

 

頑張って!具体的に何が出来るかわからないけど、とりあえず力いっぱい応援してるからね。

 

こういうメッセージをもらうと、俄然頑張ろうと思う。メッセージに込められた想いの強さ、<純度の高さ>に自分も励まされる。

 

ところが頑張ろうと思いつつ、できることの小ささに、自分でもびっくりしてしまう。ホームページ作りはちょっとしたことでつまづくと、あっという間に数時間経ってしまって、2人で嫌になってしまう。そのうち下の子も幼稚園や学校から帰ってきたり、午後からは保護者会があったりして、今日の作業は終わり、、、となったりする(長男、ほとんど学校行ってないけど、PTAの委員になっちゃったYO!)。

 

クラウドファンディングは、月曜にメールをして、電話もして、返事がこなくてまた電話をして。ようやく金曜日の今日にメールが返ってきたと思ったら、来週の都合のいい日を教えてくださいとくる。「なんなんだー」とヤキモキする。会う約束をしていた人たちとも、四男の水疱瘡で流れてしまった(ごめんなさい)。

 

そんなこんなの1週間だった。そんなこんなの1週間で特に報告することは何もないのだけど、メッセージやコメントをくれる人がいる。「すみません。今日も何も出来なかったです」パソコンの前でそんなことを思いながら有り難く読ませていただく。読ませていただきながら、もしかしたら、私の良さは「力がないこと」なのかもしれないな、図々しく思った。私たちに「力がない」から、みんな力を貸してくれようとする。ただ<想い>に共感して、何か動こうとしてくれる。

 

私たちは、それをお返しすることは今はできない。完成させることでしか、お返しすることはできない。だから頑張って早く完成させようと、とりあえずもがいてみる。でも、自分でも滑稽なくらいに出来ない(笑)。他の人が話し合う下地になる、アウトラインを作って、のアウトラインすら揉める(笑)。だから、それで開き直ってもいいのかもしれない。こんな報告の時があってもいいのかもしれない。

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力がないことが、誰かを入れる余地を作る、力なのかもしれない。

もしかしたら、力がないことが、力なのかもしれない。力がないから誰かが入る余地を生み、それが新しい広がりを生んでいるのかもしれない。だからこんなにたくさんの人が、忙しい人が、助けるよと声をかけてくれるのかもしれない。

 

第一子だった私は、結局のところ受け取り下手のお願い下手で、相手の好意に「ああ!すみません!」と思ってしまうこと多々なのだけど、もう諦めよう。

諦めて、まずは想いの純度を高くすることに集中しよう。そう思った4月14日金曜日、ドラえもんの日の夜。

 

作りたいのはモノではなく、文化。そして見たい未来がある。

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最初に自己紹介を。

 

はじめまして。私は、川崎市に住む、0歳8ヶ月の赤ちゃんから、10歳のやんちゃBOYまで、四男一女の5人の子を持つ、お母さんです。

生駒知里が本名ですが、友達からは「たなちゅう」というあだ名で呼ばれています。(旧姓が田中だったので。。。)

 

怒るときはカッカッと怒り(勘違いで後から子ども達に謝ることも、、、^^;)、面白いことは子ども達と一緒にガハガハ笑い、気弱になると子どもの前でもメソメソ泣いてしまう、、、肝っ玉母ちゃんでもなんでもなく、ごくごくフツー、いや、フツーよりもズッコケの多い^^;母ちゃんです。

 

 

 

今10歳の1番上の子が生まれる前の独身時代は、冒険遊び場と、不登校や引きこもりの子が通うフリースペースが合体した施設の、オープニングスタッフとして働いていました。

子どもたちとと泥投げをしたり、かまどで火遊びをしたり、イベントを考えたり、鬼ごっこをしたり。休日も、職場とは別のボランティアグループで、子どもたちとキャンプに行ったり、公園遊び、クリスマス会、餅つきと、まさに「子ども漬け(笑)」の楽しい日々。

 

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そんな私のお腹に命の灯が宿り、退職して、あれよあれよといつの間にか、四男一女の、5人の子の母になりました。

 

お母さんになってからも、「子育て経験のほとんどない女性が、母親になったからっていきなり1人で子育てをするのは大変じゃない?」という疑問から、当時2歳と0歳の長男二男をおんぶに抱っこしながら、市民館でお母さんがコーヒーやお茶を飲みながら、子どもを預けて、子育て相談をしたり、子育てを学べる『ママカフェ』という子育て支援の場をママ仲間と立ち上げたり、ヨチヨチ歩きの子のママが「公園デビュー」に臆することなく気軽に野外遊びができる『外遊びの会』を立ち上げたり、母親同士が子どもを預けあえる自主保育グループを立ち上げ、運営してきました。

去年からは、子育て中の母親を対象に、家族みんなが家事に参加しやすくて、子どもの「やりたい!」がすぐ叶うような収納導線を整える片づけの仕事も細々とですが、やり始めました(現在は産休中)。

 

 

そんな私が、長男と話したアイデアが元になり、何かに突き動かされるように一気に書き上げた文章を、4月9日、日曜日の朝、以下の文章を自分のフェイスブックに投稿しました。

 

 

どうやって実現したらいいのか?本当に実現できるのか?わからないことだらけです。

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どうやって実現したらいいのか?本当に実現できるのか?
わからないことだらけです。

 

ただ、これが叶ったら、「この子にも伝えられる」「あ、この子も!」
笑顔になれる子のイメージだけが浮かんでいます。

 

もし少しでもお力添えいただけることがありましたら、コメントかメッセージいただけると嬉しいです。

 

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我が家の長男は、小学校1年生の秋に学校に行かなくなりました。

 

 

小学校1年生で長男が学校に行かなくなった時、

 

このままこの子が大人になったらどうなるんだろう?
仕事に就けなかったら、どうしよう?
仕事に就けたとしても、人付き合いがうまくいかなくて辞めてしまったらどうしよう?
何も目的なく生きていく大人になったらどうしよう?

たくさんの不安を抱えました。

 

私だけでなく、

 

学校は義務教育ですよ。
親としてそれでいいと思っているんですか。
将来をどう考えているんですか。
ゲーム漬けになったり、昼夜逆転したり、体力が落ちてどこにも行けなくなりますよ。
愛着不安、愛着不足なんじゃないですか?
お母さんのストレスが彼の不登校の原因じゃないですか?

 

周りの人からも、たくさんの不安をぶつけられました。

 

周りの大人の(多くは母である私の)不安は、

モワモワとした黒い霧となって、
元気だった、当時まだ小学一年生だった長男を覆い、

 

やりたいことが毎日たくさん!あって、
いきいきと過ごしていた彼が、

 

ただ,
「学校は退屈すぎる」「半年通ってみて、もうどんなところかはわかった。自分に必要ない場所だってわかった」
と言っていた賢い子が、

 

「もう脳が退化していくんだ」
「俺は大人になれないんだ」

 

というようになってしまい、一時期は外にも出たがらなくなってしまいました。

 

長男の変化に、最初は焦り、「もっと外に出なさい」「このままじゃダメになるよ」と言っていた私も、

 

やがて、

「生きているだけでいいじゃない」
「学校に行かなくてもちゃんと私が育てるから大丈夫」
「あなたはあなたのままでいい」

と伝えられるようになりました。

 

学校以外で育つ場も作ろう!
と、地域の活動に取り組んで、異年齢のこどもが集まる場を作ったり、
tanQfamilyなどインターネット通信で学ぶ場ややり取りできる場を見つけたり、
学校の先生に頼んで、本人の興味関心のある実験やクッキングの授業をしてもらったり。

 

 

そうしているうちに、

今年小学5年生になった長男は、

 

やりたいことがあれば行きたいところに行き、
様々なツールを使って学び、
私よりもずっと物知りで、
料理や掃除が得意で、
一番下の赤ちゃんの世話が上手で、
まだまだ人見知りではありますが、
大人とも、子どもとも、普通に話せる男の子に育ちました。

 

学校にも、やりたいことがあれば行くようになりました。

 

私も、
学校以外の育つ場を作ったり、見つけたことで、
あの頃のような不安を抱えなくなりました。

  

もしあの頃の私たちに、「大丈夫だよ」と伝える術があったら、、、、。

 

 

「全ての、学校以外で育つ子が、豊かに育てる場を提供したい」

 

それが私たちの願いです。

 

 

そのために、長男と話したこと

 

・子ども向けのホームページ。家でこんなことができるよ、こんな勉強方法もあるよ、
外にはこんな場所があるよ、こんなところに行けるよ、というデーターが載っているものを作りたい。

・親や先生に「学校に行かなくていいの?」「勉強はどうするの?」「ゲームばかりしすぎじゃない?」と言われた時に、答えられるものがあるといい。

・学校以外で出かけられるところが増えて欲しい。特に、昼間やっている探究的な学びの塾があるといい。

・ホームページやスマホのアプリで、地域やジャンルで「ホームスクーラー」が行ける場所を検索できるようにしたい。

・インターネット塾があるといい。外に出られない時期も、読み書きが苦手な子でも、学べるところがあるといい。
nhk for schoolの動画を見て、そのあとクイズ(試験)に答えられるといい。
学年を超えて得意なところはどんどん勉強できて、苦手なところは何度も動画で見れるといい。

・おすすめの漫画やアニメやゲームもホームページで紹介する。そしたら親が嫌がる暴力的なゲームとかにはまらないと思う。(親も一緒に楽しめる。)

 

 

そのために力を貸してもらいたいこと

 

・ホームページやスマホのアプリ作成を手伝ってくれる人。

・インターネット塾の作成を手伝ってくれる人。

・一緒に中身を考えてくれる人。

・デザインを担当してくれる人。

・昼間開校していいよ、といってくれる塾や教室の先生。

・ホームページやアプリ、インターネット塾や昼間の塾を作るための、金銭的な支援をしてくれる人。
(どれくらいの費用がかかるのかまだ分からないのですが、クラウドファンディングも考えています。)

 

 

「こういうものがあるから子どもが学校に行かなくなるんじゃないの?」
「甘やかしてる」

と考える方もいらっしゃるかもしれません。

 


私たち考えているのは、

「既存の学校や学びが合わないというだけで、
集団への帰属感や周囲の人間関係という社会的資源も絶たれていいのだろうか?」

という疑問です。

 

もしあなたがブラック企業に勤めていて、その会社が辛くて辞めた時、
他に勤めることのできる会社がないと言われたらどうでしょうか?

 

もしあなたが会社の人間関係に悩んでいて、
有給休暇すら取れない状況と言われたらどうでしょうか?

 

子どもに、どんな学校でも毎日通え、というのは、
それと同じことです。

 

たまたまいい先生達に出会えて、たまたま人間関係の悩みもなかった。

たまたま知的好奇心も満足できる学習内容だった。

それらの「たまたま」がずっと続くと言えるでしょうか?

 

また、現代は働き方も多様化していますし、
将来は、人工知能によって働き方が大きく変わると言われています。

 

学校という存在が、近代化に向けた社会の要請によって生みだされたように、
子ども学び方も社会の変化に応じて変わってくるでしょう。

 

今までのように、毎日学校に通う、ということが当たり前ではない時代が、そのうち来るかもしれません。

 

私たちは今の学校制度を否定しているわけではありません。
個々の特性にあった学びの多様性を、模索できる機会が増えるといいなと思っています。

 

また、現在、学校に通う子たちを、否定や排除もしていません。

学校という場は、普通に通える子にとっては、今でも多くの資源やメリットがあると私は考えています。

 

実際、長男以外の我が家の下の子たちは、学校や幼稚園に通っています。
ホームスクーラー対象のこのサイトや塾が、彼らにとっても新しい学びや出会いの提供になると思っています。

 

 

「全ての、学校以外で育つ子が、豊かに育つ場を提供したい」

 

 

もし、私たちのこの思いに賛同してくださり、力を貸してくださる方がいましたら、連絡いただけたら幸いです。

 

また、この投稿をシェアしていただけたり、気軽にいいねやコメントいただいて、たくさんの方の目に届けてくれますと、嬉しいです。

 

長い文章を、最後まで読んでいただきましてありがとうございました

 

追記・まだ手がきだけど、写真をつけました。

 

 何度も躊躇しながらも、それでも最終的に想いのほうが強くなって、投稿したこの記事に対して、私たちが想像していた以上のたくさんの方がシェアやコメントをしてくれ、「手伝うよ」「応援するよ」「これが出来るよ」「うちも一緒だった」という声をもらいました。

 

それらに驚いて書いた、次の日の投稿

 

前の投稿をするまで2日間ぐらい投稿しようとしてはやめて、しようとしてはやめて、を繰り返してました。

 

自分たちが楽しく暮らせるようになったんだから良いんじゃないか。誰かがやってくれる。ひっそり暮らしていればいい。そんな頭の中の声も聞こえてきました。

 

でも、独身時代に関わってきた子、母親になって子育て支援の活動をする中で知り合った親子の中で、我が家と同じような悩み、苦しみを、抱えなければいけなくなった親子に出会いました。

 

一緒に遊んでたときは、イキイキ幸せそうだった、優しくて、クリエイティブなあの子たちが、そのお母さんが、どうしてこんなに悩まないといけないんだろう?
それが原動力になりました。

 

昨日は、古くからの友人が、長男のホームページ作りを見守ってくれました。じっくり家で没頭して出来る活動ーJIKURI、ここに行こうかーIKOKA、2つのイメージも出来ました。

 

一晩明けて、たくさんのメッセージ、コメント、シェア、いいねに、私たちの予想を超えた繋がりに、正直驚いています。
私たちの世界は一晩で大きく変わりました。

 

どうやって実現したらいいのかは分からないまま、想いだけを握って、私たちは発進しました。

 

期待に応えなくていい。みんなで叶えればいい。

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思ってもみない反響をもらって、私は今更ながら、焦りました。

 

これだけの人の期待にどう応えたらいいのだろう?本当に実現できるのかも分からないのに。私自身は本当にどこにでもいる1人の母親で、普通の企業に勤めた経験すらありません。泥だらけで子ども達と遊んだ経験しかなく、投稿した通りでインターネットの技術も何もなく、ただあるのは想いだけでした。

 

でもそう思ったあとすぐに「期待に応えなくてもいい」とも思いました。期待に応えようとするのは、私が主で周りの人はお客さんということでしょう。でもこのプロジェクトは、共感してくれるみんなで叶えればいい、と。

 

同じように試行錯誤してくれる人と一緒に、手を携えて、どこにたどり着くか分からない旅に船出したのだと。

 

作りたいのはモノではなく、文化

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私は、発進していく中で、私が作りたいのはサイトという、「モノ」ではないんだということに気づきました。

 

作りたいのは「モノ」ではなく、「文化」。作りたいということさえおこがましいのかもしれない。まだ見たことのない「未来」を見たいのだと思うのです。

 

「俺(うちの子)、学校行ってないんだ」という言葉を発するとき、<不登校>という言葉に内在する、『肩身の狭い思い感』や、『あ、カミングアウトしちゃった!されちゃった!感』は何なんでしょうか?

 

最近の私は、「うちの長男はおうち生活でね」とか「学校に行ってなくて」とフツーに言います。私が軽やかにいうせいか、周りのママ友も「あ、そうなんだ」軽やかに返してくれます。そこには良いも悪いもない、フラットな雰囲気が漂っています。私は、私の周辺で起きていることが他でも見たいのだと気づきました。

 

「俺、ホームスクーラー(不登校)なんだ」「あっそう」

ーそう、「あっそう」の一言で済む、学校に行っているもいないも、大きな問題でもなければ、価値観の何某かにも引っかからない、学校という舞台が、インターネット上の繋がりが、地域にあるそこここが、「学び」というフィールドのひとつでしかなく、子ども達が好奇心に従って、枠を超えて自由にそれらのフィールドを行き来できる、そんな未来を見たいのだと思うのです。

 

 

 

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