「つくり続ける」ということ
最近の二男と三男は、毎日のように夢パークへ。
今日は早めにお迎えに行くと、
スタッフと何かやっていた。
3年前につくった木造遊具のターザンロープが老朽化してきたから、
みんなで解体しているそう。
三男は横目で中には入らず焚き火、
二男は大きな磁石で周りに落ちた釘拾いのお手伝い。
外側の支えの部分を外して、土に入っていた箇所の、腐った木の部分を切り取ったら、
まだ使えそうな部分を前にスタッフ達が相談を始めた。
「ひとまわり小さくなったけど、、、
小屋とかにはなりそうじゃない?」
早速よじ登る子ども達。
それを見て、、、。
「ジャングルジムみたいにも使えそうだね」
元ターザンロープの遊具が置かれていた地面は、真ん中がくぼんでいた。
「あっちの平たいところに置いたらどうだろう?あっちに置いてみない?」
「移動しよう」
みんなで協力して場所を変える。
夕闇が迫る中、まだ相談は続いていた。
つくったものを使い、
また、壊し、
また、つくる。
「作り続ける」ということが日常の生活に溶けこんでいる貴重さを、
子ども達はまだ知らない。
既に完成したものを、
選び、
購買し、
消費する、
以外の生き方があることを知っていることの貴重さを。
彼らが大人になったとき、彼らは作り手になる。
たくさんの未完成に向き合い、
「作り続ける」という側に。
そして私も。
正解のない、子育てという「未完成」を、やり続ける1人。
子ども達はいつも「つくり続ける」仲間であり、伴走者だ。